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== 経歴 ==
大学時代にはテキサス州大エルパソ校でプレイ。4年生の時には平均22[http://www.dunksb.jp エアジョーダン]得点、4リバウンド、5.4アシストの記録を残し、身長6フィート(183センチ)以下の優秀な選手に贈られるフランシス・ポメロイ・ネイスミス賞を受賞した。
 
大学を卒業すると、全体14位で[[ゴールデンステート・ウォリアーズ]]に指名された。1年目は平均得点14.7、アシスト8.7と新人としては優秀な成績を収め、オールルーキーファーストチームに選出された。
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チームは毎年地区屈指の成績を残しながらも[[シカゴ・ブルズ]]や[[ニューヨーク・ニックス]]などに阻まれ、優勝の機会を得られないまま数年を過ごし、30代の半ばに近づきつつあったハーダウェイの個人成績は徐々に低下していった。2000-01シーズンを最後に、ハーダウェイは[[ダラス・マーベリックス]]へトレードされ、翌シーズン中に[[デンバー・ナゲッツ]]に再びトレードされた。このシーズンは平均得点は10を下回り、平均アシストも5以下だった。
 
翌シーズン、ハーダウェイはどのチームでもプレイせず、[[ESPN]]局で放送されたNBAの試合で解説を務めた[http://www.takota.jp ヘッドフォン]。次の2002-03シーズン末に[[インディアナ・ペイサーズ]]とフリーエージェントとして契約、10試合に出場し、シーズン終了後に引退した。
 
ハーダウェイは[[1994年]]の[[バスケットボール世界選手権]]大会に[[ドリームチーム]]IIのメンバーに選出されたが、故障で出場は出来なかった([[ケビン・ジョンソン]]が代役に選ばれた)。[[2000年]]の[[シドニーオリンピック]]でも米国代表チームに選出され、こちらは金メダルを獲得した。
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[[2009年]][[9月17日]]に[[マイアミ・ヒート]]の永久欠番となった。
 
[[2013年]][[2月15日]]に[[[http://www.loubou.jp mbt]殿堂入り]]候補に選ばれた。
 
== 備考 ==