「武蔵野台地」の版間の差分

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これらの台地にはそれぞれ名前がつけられており、'''[[久が原]]台'''、'''[[田園調布]]台'''、'''[[目黒 (東京都)|目黒]]台'''、'''[[淀橋]]台'''、'''[[豊島 (東京都北区)|豊島]]台'''、'''[[本郷 (文京区)|本郷]]台'''、'''[[成増]]台'''といった呼称が行われるほか、より細かい区分を行うこともある。たとえば[[陣内秀信]]は都心部について、上野台地、本郷台地、小石川・目白台地、牛込台地、四谷・麹町台地、赤坂・麻布台地、芝・白金台地の7台地を数えている<ref>『東京の空間人類学』 陣内秀信 筑摩書房 1992年</ref>。
 
こうした複雑な地形の上に江戸、すなわち東京都心部の市街地の西半部、こうした複雑な地形の上に形成された。
たとえば[[江戸城]]([[皇居]])は台地先端の地形を巧みに利用して築城されており、[[神田川 (東京都)|神田川]]と[[目黒川]]の間を広くカバーする淀橋台の東端に位置している。また、[[上野恩賜公園]]の立地するいわゆる“上野のお山”は、武蔵野台地の東端に位置すを占める本郷台の、さらにその東端部にほかならず、[[上野駅]]の西側で15m以上の標高差を見せる崖となって終わっている。
[[渋谷]]は、[[渋谷川]]によって開析された谷の底に開かれた街であるために、東に行くには[[宮益坂]]を、西へは[[道玄坂]]を登らねばならない。このように坂が多いことは、東京の街を特徴づける地形要素のひとつともなっている。