「ハーマンズ・ハーミッツ」の版間の差分

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==歴史==
[[1964年]]秋にデビュー曲「朝からゴキゲン」がイギリスで大ヒットする。翌[[1965年]]には[[ビートルズ]]の成功に続くべくアメリカに上陸。ボーカルのピーター・ヌーンのアイドル的ルックスと、清潔感のある親しみやすいイメージ戦略で高い人気を博し、「ミセス・ブラウンのお嬢さん」、「ヘンリー8世君」、など多くの全米TOP10ヒットを連発した。1965年から1966年は完全にアメリカを征服しビートルズの人気を凌駕する、'66年にはMGMより主演映画「[[::en::Hold On! (film)|ホールドオン!]]」が封切られ、来日公演を果たす。ところが67年に入ると[[見つめあう恋]]の大ヒット以後の全米ツアーにおいて前座の「ザ・フー」「マッシュマカーン」に食われる始末。その後、アメリカでは「雨にさよなら」「恋のミュージアム」などのスマッシュヒット(イギリスではノーチャート)は放つもかっての勢いはなく、'68年には映画「ミセス・ブラウンのお嬢さん 邦題 [[::en::Mrs. Brown, You've Got a Lovely Daughter (film)|レッツゴー!ハーマンズ・ハーミッツ]]」が封切られたが回復策にはならず、「恋は晴れのち曇り」そして「スリーピージョー」を最後に全米チャートから姿を消す。[[1969年]]に入るとポピュラー音楽の世界は様相を一変させてゆく中で本国イギリスではその後「恋はハプニング」「サンシャインガール」「マイ・センチメンタルフレンド」「時は流れる」「僕を頼りにして」他の大ヒットを放ち続け[[1971年]]のシングル、「レディ・バーバラ」を最後にヌーンが脱退したことにより事実上解散となる。
現在はヌーンが再結成したバンドと、バリー・ホイットワム(ドラム)が再結成したバンドの二つのハーマンズ・ハーミッツが並立し、別々に活動している。