メインメニューを開く

差分

ナバラのピレネー山脈北側のわずかな部分は、低ナバラ(フランス語で <span lang="fr">Basse-Navarre</span>:[[バス=ナヴァール]])と呼ばれ、隣接するベアルヌ公領と共に、相続によって継承された小さな独立君主国として生き残った(この王国はフランスの封建制度下にあるため、日本語ではフランス語風に「ナヴァール王国」とも呼ばれる。以下その表記を使用する)。ナヴァールは、ジャンの息子[[エンリケ2世 (ナバラ王)|アンリ2世]]の代から王国として承認され、代表議会、[[バイヨンヌ]]と[[ダクス]]の司教によって代表される聖職者ら、[[サン=ジャン=ピエ=ド=ポル]]の教区司祭、[[サン=パレ]]、ユトゥジア及びアランプレの小修道院長が置かれた。
 
1589年[[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]のフランス国王即位に伴いその政府がフランス政府に統合されたとき、それはまだ王国と呼ばれていた。アンリ4世以後、フランスの王はその称号に「ナヴァールの王」を(再び)追加した。[[バスク語]]はこの地方の大部分でまだ話されている。ナヴァール王アンリ3世がフランス王アンリ4世となり、フランスの王位によって統合した1589年まで、ピレネー山脈の北側地域、すなわちナヴァールはフランス人の土地を大きく加えた独立王国のまま存続した。ナヴァールはベアルヌ公領と統合し、フランスの州となった。
 
==参考文献==
匿名利用者