「和田岬」の版間の差分

==概要==
[[六甲山地]]から南流する[[妙法寺川]]・[[苅藻川]]の流出土砂及び沿岸流によって形成された[[砂嘴]]。もともと、読みは同じで'''輪田'''や'''和太'''等と呼ばれていた。昔は名勝地でもあった。
 
『[[太平記]]』に拠れば[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の[[建武]]3年([[1336年]])5月25日には[[湊川の戦い]]の舞台となり、和田岬には[[新田義貞]]配下の[[脇屋義助]]、[[大館氏明]]が布陣したという<ref>『太平記』巻十六「兵庫海陸寄手の事」</ref>。
 
[[江戸時代]]末期に、[[勝海舟]]により[[和田岬砲台]]が造られたが実戦を経験せずに使用されなかった。現在は、[[三菱重工業]]の敷地内になっている。
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