「フランク・レッサー」の版間の差分

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ピアニストの父ヘンリーのもとニューヨークで生を受け<ref name=pbs>[http://www.pbs.org/wnet/broadway/stars/loesser_f.html Frank Loesser biography], pbs.org, accessed December 5, 2008</ref><ref name="Cogdill 2010 1">{{harvnb|Cogdill|2010|p=1}}</ref>、 マンハッタン西107番通りの家で育つ。
 
父は[[プロイセン王国]]の兵役をのがれてアメリカにわたり渡米、親族の銀行につとめた。ベルゼ・エーリッヒと結婚、1884年長男アーサー誕生。1888年にベルゼの妹ジュリアがアメリカにやってくる。ヘンリーは[[一目ぼれ]]。ジュリアもヘンリーを愛したが、ベルゼがジュリアを[[ワシントンD.C.]]においはらう。ベルゼが[[産褥]]で亡くなったあとの1907年、ジュリアがもどってきてヘンリーと結婚。長女グレースは同年11月に生まれた。そして[[1910年]]にフランクが誕生。<ref name=Lasser >{{Cite book|last=Lasser|first=Michael|title= "Francis Henry Loesser" American Song Lyricists, 1920-1960|pages=|publisher=Gale|year=2002|isbn=978-0-7876-6009-3}}</ref>
 
両親は高い知性と教養があり、レッサーはヨーロッパの作曲家の音楽を学んだ<ref name="Cogdill 2010 1"/>。 父と兄からピアノをならう。父のが、上流気どりの音楽が好きになれず、曲を書いて[[ハーモニカ]]にハマってからは突っぱねた。高校からほうり出され[[ニューヨーク市立大学]]に通うも<ref name="Lasser"/>、1925年に英語と体育以外のすべての単位を落とし、大学からも放校された。<ref name="Cogdill 2010 1"/>
 
1926年(16歳)に父が死に、家族をやしなうために働きに出た。<ref name="Maiers 2009 1–3">{{harvnb|Maiers|2009|pp=1–3}}</ref>レストラン調査員や行政執行官(裁判所の令状を被告に届ける職業)、新聞の広告取り、政治マンガ描き、ボードヴィルのスケッチライター、『日刊女性服』新聞の編み物担当編集者、弱小映画会社の広報、短命にわった地域新聞(区民便り)の編集員などを経験した。 <ref name="Cogdill 2010 1"/><ref name="Lasser"/>
 
== 音楽の仕事 ==