「ウォッチマン (量販店)」の版間の差分

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'''ウォッチマン'''は、かつて[[日本]]に存在した専門量販店[[チェーンストア|チェーン]]である。高級腕時計をはじめ、[[時計]]、[[ブランド]][[バッグ]]、[[宝飾品]]、[[家庭用電気機械器具|家電製品]]、[[カメラ]]、[[ゴルフ]]用品などの安売り販売を行っていた。本社は[[愛知県]][[名古屋市]]にあった。
 
[[2006年]]までにすべての店舗が閉鎖、またはチェーンから離脱した。
 
== 特徴 ==
地元・名古屋の主力カメラ系量販店[[アサヒドーカメラ]]・[[トップカメラ|安さ一番トップカメラ]]と共に家電量販店の一社で、高級ブランド品の安売りチェーンとしては草分け的存在<ref name="A">『中日新聞』朝刊 2006年8月17日 7面</ref>であった主力商品は先述の2社とは異なり主力商品は時計で、[[1990年]]4月期には売上の4割近くを占めていた([[1990年]]4月期)。最盛期には[[北海道]]から[[九州]]にかけて約40店舗を展開し、テレビ[[コマーシャルメッセージ|コマーシャル]]などの広告宣伝を積極的に行っていたが、[[2006年]]までにすべての店舗が閉鎖、またはチェーンから離脱した。
 
== 沿革 ==
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|特記事項 = [[2006年]]8月、[[破産手続開始決定]]。
}}
[[1982年]]、当時の「ナゴヤプラザホテル」(以下「旧ウォッチマン」と記す)が、[[ホテル]]内で時計の販売を始めた。これがウォッチマン1号店である。創業者によると、曜日によっては「冬でも冷房が」要るほどの繁盛ぶりであった<ref name="A" />という。後に店舗を増やし、[[1989年]]7月時点では店舗数26のチェーン店となっていた。
 
1989年8月、旧ウォッチマンは[[豊田通商]]との合弁企業「ウォッチマン」(以下「新ウォッチマン」と記す)を設立し、チェーンを新ウォッチマンへ譲渡のちに旧ウォッチマンは社名をナゴヤプラザホテルに戻す)た。新ウォッチマンも積極的にチェーンの規模を拡大。最盛期の[[1991年|1991年度]]には約40の店舗を持ち、310億円の売上高を誇った。
 
新ウォッチマンも積極的にチェーンの規模を拡大。最盛期の[[1991年|1991年度]]には約40の店舗を持ち、310億円の売上高を誇った。
 
その後は中京地区への、[[ヤマダ電機]]等関東資本の大手[[家電量販店]]([[ヤマダ電機]]等)のが中京地区へ進出した影響などで売上が減少。店舗数が18となった[[1998年]]、新ウォッチマンの経営から旧ウォッチマン関係者が離れ、豊田通商の子会社となったが、[[2002年]]3月期には75億円の債務超過に陥った。
1989年8月、旧ウォッチマンは[[豊田通商]]との合弁企業「ウォッチマン」(以下「新ウォッチマン」と記す)を設立し、チェーンを新ウォッチマンへ譲渡(のちに旧ウォッチマンは社名をナゴヤプラザホテルに戻す)した。新ウォッチマンも積極的にチェーンの規模を拡大。最盛期の[[1991年|1991年度]]には約40の店舗を持ち、310億円の売上高を誇った。
 
[[2002年]]3月期には75億円の債務超過に陥った。
その後は中京地区への関東資本の大手[[家電量販店]]([[ヤマダ電機]]等)の進出等で売上が減少。店舗数が18となった[[1998年]]、新ウォッチマンの経営から旧ウォッチマン関係者が離れ、豊田通商の子会社となったが、[[2002年]]3月期には75億円の債務超過に陥った。
 
[[2004年]]5月、新ウォッチマンの全株式が[[アセット・マネジャーズ]]の企業再生ファンドへ譲渡された。この年から大幅に店舗網が縮小され、2006年には本店(名古屋市)と[[三宮]]店を残すのみとなった。売上高は156億円(2004年3月期)から50億円(2006年3月期)へと激減した。2006年7月、新ウォッチマンは債権者側から[[破産]]を[[破産手続開始の申立て|申し立て]]られ、8月に[[倒産]]したこのときアセット・マネジャーズは、すでにウォッチマンとは無関係だと発表している
 
=== 旧ウォッチマン ===
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=== 新ウォッチマン ===
*1989年8月 - 旧ウォッチマングループ(計60%)と豊田通商(40%)の共同出資により、新会社「ウォッチマン」として設立される。量販店事業を旧ウォッチマンから譲受。
*1998年 - 豊田通商の出資比率が97%へ引き上げられる残り3%の株式は取引銀行各行が保有
*2002~2003年頃 - 豊田通商の100%子会社となる。
*2004年5月 - 企業再生ファンド「ウォッチマン・ホールディングス」の100%子会社となる。
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== 備考 ==
* [[中部日本放送]]の[[ミックスパイください]]の「Doki Doki 宝島」のコーナーの賞品に、の会社の商品が入っ使われていた。また4回ミスしてゲームオーバー(4回ミス)しになった時にも、特別にこの商品がプレゼントされていた。
* [[東海テレビ放送|東海テレビ]]の「[[ドラゴンボールZ]]」や「[[キテレツ大百科 (アニメ)|キテレツ大百科]]」が放送開始前に、19時の[[時報]]前のCMとして流れていた「ドラゴンボールZ」の際は[[野沢雅子]]が[[孫悟空 (ドラゴンボール)|孫悟空]]の声で時報ナレーションを入れていた
* 近畿地方でも大阪進出時には近畿地方で[[毎日放送]]などで主に番組間スポットにて一時期、CMを流していたことがある。
 
== 参考資料 ==
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<references />
 
== 外部リンク ==