「桑山正一」の版間の差分

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「正一」の読みを芸名では、「しょういち」と読ませたが、本名の読みは「まさかず」である。戦争中における説明を追加する。
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{{出典の明記|date=2011年12月17日 (土) 05:09 (UTC)|ソートキー=人1983年没}}
'''桑山 正一'''(くわやま しょういち、本名の読みは「まさかず、[[1922年]][[8月16日]] - [[1983年]][[9月4日]])は、昭和期の[[俳優]]・[[演出家]]。元・[[劇団民衆舞台]]所属。
2男1女《長男・桑山正道(舞台監督・舞台プロデューサー)次男・桑山和之(映画プロデューサー)》
 
== 来歴・人物 ==
[[東京市]]本所区(現在の[[東京都]][[墨田区]])出身。[[1943年]]に日本映画学校演技科を卒業し、戦争中は砲兵生活を経に所属し終戦時には仏領インドシナ(現ベトナム)で武装解除になり捕虜となる。戦後は[[木下順二]]が主宰する劇団「[[ぶどうの会]]」に参加。劇団の創立メンバーとして、看板女優・[[山本安英]]の主演による『[[夕鶴]]』の与ひょう役をはじめ数々の舞台に出演した。
 
ぶどうの会解散後の[[1965年]]には自身が代表を務める「[[民衆舞台]]」を創設する。主任演出家も兼ねた座長として演劇活動を続ける一方、。主な舞台として「敗戦シリーズ」でメッセージ性の強い作品と「民話の囲炉裏寄席」としてぶどうの会の流れをくむ作品を手がける。また[[映画]]や[[テレビドラマ]]にも数多く出演。飄々とした善役から憎々しい[[悪役]]まで、幅広い役柄を演じる個性派の名[[脇役|バイプレイヤー]]として活躍した。1983年9月4日、[[心不全]]のため東京都[[文京区]]の[[日本医科大学付属病院]]で死去。遺作となった「瀬戸内少年野球団」の春の撮影を残した中で亡くなったが、篠田監督の意向で残ったシーンの設定を変えて、遺作として残す。{{没年齢|1922|8|16|1983|9|4}}。
 
== 出演作品 ==
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*おさな妻(1980年、[[日活ロマンポルノ|にっかつ]]) - 連太郎
*[[二百三高地]](1980年、東映) - 赤丸巡査
*[[ブリキの勲章]](1981年、中山映画) - 教頭
*密漁妻 奥のうずき(1981年、にっかつ) - 丸根達三
*[[ひめゆりの塔 (1982年の映画)|ひめゆりの塔]](1982年、東宝) - 杉八
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* すぴーきんぐ73
 
{{DEFAULTSORT:くわやま まさかすしょういち}}
[[Category:日本の俳優]]
[[Category:悪役俳優]]