「全日空サッカークラブ」の版間の差分

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== 略歴と主なタイトル ==
* 1964年 横浜市中区スポーツ少年団として設立
* 1983年 JSL2部昇格
* 1984年 JSL1部昇格
* 1985年 JSL2部降格
* 1988年 JSL1部昇格
 
== 過去の成績 ==
{| class="wikitable"
|-
!年度
!カテゴリ!!順位!!勝点!!勝!!分!!敗!!得点!!失点!!監督
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|[[1986年-1987年のJSL|1986]]||JSL2部・東下位||11位||20||7||6||7||33||30||rowspan="6"|塩澤敏彦
|-
|rowspan="2"|[[1987年-1988年のJSL|1987]]||JSL2部・東||_2位||20||7||6||1||26||13
|-
||JSL2部・上位||bgcolor=gold|優勝||24||11||2||1||26||6
|-
|[[1988年-1989年のJSL|1988-89]]||rowspan="4"|JSL1部||bgcolor=silver|2位||40||12||4||6||37||22
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== ボイコット事件 ==
{{main|全日空横浜サッカークラブ・ボイコット事件}}
[[1986年]][[3月22日]]、第21回日本サッカーリーグ第22節の対[[三菱重工業サッカー部|三菱重工]]戦([[国立西が丘サッカー場]])において、かねてから全日空によるクラブ運営に不満を抱いていた全日空クラブ所属の登録選手6名が試合をボイコットする事態が発生した。
 
これは全日空が当時の主将ら契約選手との契約を解除し、選手の入れ替えを強引に図ったことが発覚し発生した。
 
全日空クラブは、この試合は控えゴールキーパー含む残りの10登録選手10名(うち先発メンバーは8名)で行われ、1対6で三菱に敗れた。ルール上、1チーム7名以上の選手が出場していれば試合は成立するが、このリーグ史上初の不祥事に[[日本サッカー協会]]は、試合をボイコットした6選手に対して無期限登録停止(うち2名は26年後の2012年に解除<ref>[https://www.jfa.or.jp/jfa/rijikai/2012/20120510/PDF/k_20120510.pdf 平成24年度第2回理事会協議事項(PDF)] - 日本サッカー協会</ref>)、全日空クラブに対し翌シーズンの[[JSLカップ]]を含む3か月間の公式戦出場停止の処分を下した。
 
なお、この時ボイコットした選手のうちの1人と、この年を最後に全日空横浜サッカークラブを退団した選手のうちの1人が、同年9月に横浜サッカー&カルチャスポクラブ(現:[[横浜スポーツ&カルチャークラブ]])』(Y.S.C.C.横浜))」を設立した。
 
== 歴代監督 ==
* [[西海輝]](1970年 1970- 1971年)
* [[森豊]](1972年 1972- 1974年)
* [[田中豊 (サッカー)|田中豊]] 1975(1975年)
* [[森本孝光]] 1976(1976年)
* [[久保英夫]](1977年 1977- 1983年)
* [[栗本直]](1984年 1984- 1985年)
* [[塩澤敏彦]] 1986(1986年 - 1991年)
* [[加茂周]] 1991(1991年 - 1992年)
 
== 全日空出身の主な選手 ==
* [[李国秀]]
* [[水島武蔵]]
* [[反町康治]]
* [[山口素弘]]
* [[田口禎則]]
* [[前田治]]
* [[ネストール・オマール・ピッコリ|ピッコリ]]
* [[フェルナンド・ダニエル・モネール|モネール]]
 
== 参考文献 ==
* [[加茂周]] 『モダンサッカーへの挑戦』[[講談社]]、1994年 ISBN 978-4062071147
 
== 脚注 ==