「フライング・ダッチマン」の版間の差分

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[[File:Capetown-TW.jpg|thumb|ケープタウンとテーブル湾。]]
[[File:HMBEndeavour0884.JPG|thumb|同時代の[[帆船]][[エンデバー (帆船)|エンデバー]]の[[レプリカ]]。]]
'''フライング・ダッチマン''' ({{En|Flying Dutchman}}) は、近代[[イギリス]]の伝承に現れる[[幽霊船]]、もしくはその[[船長]]の[[オランダ人]]である。船長は'''さまよえるオランダ人'''、船は'''さまよえるオランダ船'''や'''フライング・ダッチマン号'''と訳すこともある。
 
==伝承の要旨==
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==起源==
似た伝承として、[[北海]]を最後の審判の日までさまようドイツのフォルケンバーグ船長 (Captain {{De|Falkenburg}}) の伝説があった。
 
幽霊船の形で現れる最古の文献は、[[1795年]]の[[{{仮リンク|ジョージ・バリントン]] (|En|George Barrington) }}の『[[ボタニー湾]]への旅』 ({{En|''Voyage to Botany Bay''}}) で、次のような話である<ref>{{cite book|last=Barrington|first=George|title=Voyage to Botany Bay|publisher=Sydney University Press|date=2004 [1795]|location=Sydney|pages=30|isbn=1920897208}}<!--英語版より--></ref>。
*オランダ人が喜望峰沖で[[海難事故|遭難]]し、乗っていた者は全員死亡した。
*1隻の船が同行していたが、無事[[ケープ地方|ケープ]](現[[南アフリカ共和国|南ア]])に着き、一度ヨーロッパに帰って、またこの海域に戻ってきた。
*事故のときと同じ[[緯度]]に達したとき、遭難した船の幽霊船を見張りが見つけた。
*船がケープに着くと、船員はその話を触れ回り、幽霊船は「フライング・ダッチマン」と呼ばれるようになった。
 
[[1821年]]の[[{{仮リンク|ブラックウッド誌]] (''|en|Blackwood's Magazine'') }}では、次のように書かれた<ref>{{Cite web|url=http://www.musicwithease.com/flying-dutchman-source.html|title=Source of the Legend of The Flying Dutchman|accessdate=2008-02-23|publisher=Music with Ease |year=2008|author=Music with Ease }}<!--英語版より--></ref>。ほぼ現在知られる物語になっている。
*幽霊船は、70年前([[1751年]])に出港した[[アムステルダム]]船である。
*船長はヘンドリック・ファン・デ・デッケン (Captain ({{Nl|Hendrik van der Decken) }})である。
*[[ケープタウン]]へ向かって[[テーブル湾]]に入る直前で激しい向かい風となったため、船長は風を罵った。
*その夜、船が船長に「今夜中に湾に入る気か?」とたずね、船長は「最後の審判の日までかかっても入ってやる」と答えた。
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==ワグナーのオペラ==
{{main|さまよえるオランダ人}}
フライング・ダッチマンは、[[リヒャルト・ワーグナー]]の[[オペラ]]『[[さまよえるオランダ人]]』([[1842年]])の題材として有名である。このタイトルは和訳されているだけで、原題 ''{{lang|deDe|Der fliegende Holländer}}'' はフライング・ダッチマンの[[ドイツ語]]訳である。
 
船長はたった1人で永遠にさまよう運命にあるが、7年に一度上陸でき、そのとき船長を愛す女性に出会えれば、呪いから解放される(死ぬことができる)。物語は、船が幽霊船となってかなりの年月が経過したのちの[[ノルウェー]]で始まる。