「マリー・ド・ブルボン=モンパンシエ」の版間の差分

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モンパンシエ公アンリ・ド・ブルボンの唯一の子供として生まれた。1608年に父が死去するとブルボン=モンパンシエ家の相続人となり、モンパンシエ令嬢(Mademoiselle de Montpensier)と呼ばれた。母{{仮リンク|アンリエット・カトリーヌ・ド・ジョワイユーズ|en|Henriette Catherine de Joyeuse}}はその後、1611年に[[シャルル1世 (ギーズ公)|ギーズ公シャルル1世]]と再婚した。
 
マリーは2歳の時にフランス王[[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]の次男の[[ムッシュ・ドルレアン公ニコラ・|オルレアン公]]と婚約したが、ニコラ・オルレアンは1611年に夭逝した。次いでその弟で新たにオルレアン公となった[[ガストン (オルレアン公)|ガストン]]と婚約した。
 
マリーとオルレアン公ガストンは1626年に結婚した。翌1627年、2人の間に1女[[アンヌ・マリー・ルイーズ・ドルレアン|アンヌ・マリー・ルイーズ]](1627年 - 1693年)が生まれたが、その出産後間もなくマリーは死去し、[[サン=ドニ大聖堂]]に葬られた。
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