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{{出典の明記|date=2014年3月15日 (土) 02:37 (UTC)}}
兒 説(げい ぜつ(えつ)、生没年不明)は[[戦国時代 (中国)]]の思想家。[[戦国時代|宋]]の出身だが、[[田斉|斉]]に行き、[[稷下の学士]]の一人となった。白は色に名づけられた概念であり、馬は形に名づけられた概念であるからにして、白馬は二つの概念であり、一つの概念である馬とは別物だ、という[[白馬非馬説]]を唱え、[[稷下の学士|稷下]]の学者を降参させたことで有名。兒説はいわゆる[[弁者]]、[[察者]]であった。[[白馬非馬説]]は他に[[公孫竜]]によって唱えられたが、兒説のほうが少し先であった。当時、[[関所]]では馬に[[通行税]]をかけていた。兒説は白馬に乗っていけば[[通行税]]を取られない、と思って白馬に乗っていったが、[[通行税]]を取られてしまった、という話がある。
== 参考文献 ==
*[[陳舜臣]] 『中国の歴史2⃣ 大統一時代 漢王朝の光と影』 (東洋印刷/[[凸版印刷]]/大口製本印刷1986年)
== 外部リンク ==
http://www006.upp.so-net.ne.jp/china/HUMAN2E.HTML
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