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チャイコフスキーは[[1893年]]に他界する。それから10年後の[[1903年]]までに、『眠れる森の美女』は帝室劇場で1番人気の[[チェーザレ・プーニ|チェザーレ・プーニ]]作曲・プティパ振付の『ファラオの娘』に次ぐ地位を得た。サンクトペテルブルクで活躍したイタリア人バレリーナが帰国して行った[[ミラノ]]・[[スカラ座]]における上演はまるで人口に膾炙せず、『眠れる森の美女』が国際的に古典的なレパートリーとして不朽の地位を射止めたのは、ようやく[[1921年]]の[[ロンドン]]公演においてであった。ただし、それはチャイコフスキーとプティパが作った『眠れる森の美女』を基にしながらも異なる部分があり、また、ロシアにおいても革命・ソ連時代を経て異なるものに変わっていった。原作がどういうものであったのかが分かったのは、1999年4月30日、ロシア、サンクトペテルブルクの[[マリインスキー・バレエ]]が復原版を上演したときのことである<ref>その一部が2007年[[マリインスキー劇場]]ニューイヤーガラのテレビ放映で流され、ネット上でも見ることができる。</ref>。
 
なお、原作バレエの上演前に[[アレクサンダー・ジロティ]]によってピアノ独奏版、[[1892年]]にジロティとチャイコフスキーの監修を受けた[[セルゲイ・ラフマニノフ]]による連弾版が出版されている。また演奏会用組曲(作品66a)が存在するが、これはジロティが作曲者に提案して編纂したものとされる。
 
== あらすじ ==
3,053

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