「モハンマド・レザー・パフラヴィー」の版間の差分

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例えば[[1962年]][[10月6日]]に、[[選挙|地方選挙]]において[[選挙権]]と[[被選挙権]]を[[ムスリム]]のみに限った条項を撤廃し、[[バハーイー教]]徒などにも[[市民|市民権]]への道を開こうとした時には、ムスリム、とりわけ[[シーア派]]保守派からは「[[邪教]]徒」「[[カーフィル]]」とされるバハーイー教徒がムスリムと対等になることを嫌ったホメイニーらの抵抗にあい、法改正の撤回を余儀なくされた<ref>「イスラーム統治論・大ジハード論」ホメイニー著、富田建次訳、第4章pp142</ref>。
 
その後ホメイニーは反体制派に対する影響力を恐れら警戒されて[[強制退去|国外追放]]され、イギリスの[[ロンドン]]へ向かおうとしたがイギリス政府に拒否されたため、最終的にイラン人亡命者コミュニティのあった[[フランス]]の[[パリ]]へ亡命したが、その後もイラン国内の反体制派に影響を与え続けた。
 
=== 国威の発揚 ===