「誰も寝てはならぬ」の版間の差分

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[[ルチアーノ・パヴァロッティ]]が著名な歌い手として知られ、「誰も寝てはならぬ」が世界的に有名になるきっかけを作った人物でもある。イギリスのラジオ番組でパヴァロッティ・ファンのディレクターが、パヴァロッティの歌う「誰も寝てはならぬ」を放送。パヴァロッティ「誰も寝てはならぬ」単体でシングル発売し、クラシックとしては異例の、イギリスのシングルチャートのトップ(ロック含め全シングルチャートトップ)を数週間に渡り記録し、全英だけで400万枚以上、全世界1200万枚以上の驚異的セールスを記録し{{要出典|date=2008年6月}}、これをきっかけに「[[三大テノール]]」公演が実現した{{要出典|date=2008年6月}}。
 
[[FIFAワールドカップ|サッカーワールドカップ]]記念のいわゆる「[[3大テノール]]」([[ルチアーノ・パヴァロッティ]]、[[プラシド・ドミンゴ]]、[[ホセ・カレーラス]])コンサートにおいて唄われ、それ以降イベントごとにパヴァロッティはこの曲を歌うこととなり、2006年[[トリノオリンピック]]開会式でも彼によって歌われた。ただトリノオリンピックでは死因であるガンがなり進行ており、零下になる2月の寒空での本番で完璧に歌う自信がなかったため、オーケストラの演奏を含めたすべてが一週間前に録音された演奏にあわせた[[口パク]]だったことが、このステージの指揮者でもあったレオーネ・マジエラの著書により明らかになった<ref>2008年4月9日 AP通信</ref>。
 
パヴァロッティの死後、彼に才能を見出されたイタリア人テノール、[[アンドレア・ボチェッリ]]が2010年4月30日の[[上海国際博覧会|上海万博]]開幕式においてこの曲を歌った。