「ルドルフ1世 (神聖ローマ皇帝)」の版間の差分

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森園千歳 (会話 | 投稿記録)
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[[1253年]]にホーエンベルク伯ブルクハルト5世の娘ゲルトルート([[:de:Gertrud von Hohenberg|de]])と結婚し、多くの子をもうけた。ゲルトルートの死後、[[1284年]]に[[ブルゴーニュ公]][[ユーグ4世 (ブルゴーニュ公)|ユーグ4世]]の娘イザベラと結婚した。2人の間の子はいない。婚姻外交はハプスブルク家の発展の原動力とも言え、ルドルフも婚姻を通じての外交関係の構築を展開した<ref name="emura-s8">江村『ハプスブルク家史話』、8頁</ref>。ゲルトルートとの間に生まれた子のうち2人をボヘミアのプシェミスル家の人間と結婚させ、ボヘミアへの影響力を強化した<ref name="emura-s8"/>。ドイツ諸侯の元にはマティルデとアグネスを嫁がせ、さらには[[イングランド王国]]とナポリ王国との婚姻関係の構築も計画していた<ref>江村『ハプスブルク家史話』、9頁</ref>。
* [[アルブレヒト1世 (神聖ローマ皇帝)|アルブレヒト1世]](1255年 - 1308年) - ドイツ王、オーストリア公、シュタイアーマルク公。
* ハルトマン(1263年 - 1281年) - ハプスブルクおよびキーブルク伯、エルザス辺境伯。
* [[ルドルフ2世 (オーストリア公)|ルドルフ2世]](1270年 - 1290年) - オーストリア公、シュヴァーベン公。[[ヨーハン・パリツィーダ]]の父。
* マティルダ(1251/53年頃 - 1304年) - [[バイエルン大公|上バイエルン公]]兼[[ライン宮中伯]][[ルートヴィヒ2世 (バイエルン公)|ルートヴィヒ2世]]と結婚。バイエルン公[[ルドルフ1世 (バイエルン公)|ルドルフ1世]]と皇帝[[ルートヴィヒ4世 (神聖ローマ皇帝)|ルートヴィヒ4世]]の母。