「ルイ2世 (西フランク王)」の版間の差分

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[[シャルル2世 (西フランク王)|シャルル2世]]とその妻エルメントルーデの息子で、父の死をうけて王位に即いた。最初の妻[[アンスガルド・ド・ブルゴーニュ|アンスガルデ]]との間にともに西フランク王となる[[ルイ3世 (西フランク王)|ルイ3世]]と[[カルロマン (西フランク王)|カルロマン]]を、2番目の妻[[アデライード・ド・パリ|アデライード]]との間に王女エルメントルーデと西フランク王となる[[シャルル3世 (西フランク王)|シャルル3世]]をもうけた。
 
ルイ2世は病弱だったといわれ、歴史に影響をあたえる間もなく父の没後わずか2年で死去した。遺体は[[コンピエーニュ]]にあるサン・コルネイユ修道院に埋葬された。彼の死後、王国はルイ3世とカルロマンの2人の息子がともに王位に即き、分割統治することになった。
 
{{先代次代|[[西フランク王国|西フランク]][[フランク王の一覧|国王]]|877年 - 879年|[[シャルル2世 (西フランク王)|シャルル2世(禿頭王)]]|[[ルイ3世 (西フランク王)|ルイ3世]]と[[カルロマン (西フランク王)|カルロマン]]}}