「ザ・ストゥージズ」の版間の差分

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「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第78位。
 
== 歴 ==
;デビューからセカンド・アルバムまで
[[1967年]]、ボーカルのイギー・ポップ(Iggy Pop)、ギタリストの[[ロン・アシュトン]](Ron Asheton)およびドラマーのスコット・アシュトン(Scott Asheton、ロン・アシュトンの弟)のアシュトン兄弟そしてベーシストのデイヴ・アレクサンダー(Dave Alexander)によって結成される。初期はサイケデリック・ストゥージズとして活動していたが<ref>[[1967年]http://www.barks.jp/news/?id=1000046178 ザ・ストゥージズのギタリスト、亡くなる] barks 2009年1月7日</ref>、後結成ザ・ストゥージズに名乗りを変える。"stooge"とは、「ぼけ役」、「まぬけ」といった意味がある
 
[[1969年]]、元[[ヴェルヴェット・アンダーグラウンド]]の[[ジョン・ケイル]]のプロデュースにより、ファデビュスト・アルバム『[[イギー・ポップ・アンド・ストゥージズ (アルバム)|イギー・ポップ・アンド・ストゥージズ]]』(The Stooges)を発表。全米最高106位と商業的には成功しなかったが、同じ[[エレクトラ・レコード]]に所属する[[MC5]]と並んで[[ガレージロック|ガレージ・ロック]]([[オリジナル・パンク]])の代表的存在となった目される
 
フロントマンのイギーは、客の注目を惹くため[[ステージダイブ]]をしたり<ref>[http://www.barks.jp/news/?id=1000091976 イギー・ポップ、トレードマークのステージ・ダイブを語る] barks 2013年7月4日</ref>、[[ピーナッツバター]]を体中に塗ったり、ステージに散りばめた[[ガラス]]の破片の上を転がるなど<ref>[http://www.barks.jp/news/?id=52243705 イギー・ポップ、“MTVの『Jackass』に影響を与えたのは俺だ”] barks 2001年7月22日</ref>、身体を張ったパフォーマンスを展開した。
[[1970年]]には、セカンド・アルバム『[[ファン・ハウス (アルバム)|ファン・ハウス]]』(Fun House)を発表。その後、デイヴが解雇され、ジーク・ゼトナー(Zeke Zettner)、ジミー・レッカ(Jimmy Recca)に交代したり、サックスのスティーヴ・マッケイ(Steve MacKay)を加えたり、第2ギターとしてビリー・チータム(Billy Cheatham)が参加し、すぐに[[ジェームズ・ウィリアムソン]](James Williamson)に代わったりと、目まぐるしくメンバーが入れ替わった。この時期、イギーを筆頭に、ロンを除くメンバーは[[ヘロイン]]に溺れ、数か月の活動休止を余儀なくされた。
 
[[1970年]]には、セカンド・アルバム『[[ファン・ハウス (アルバム)|ファン・ハウス]]』(Fun House)を発表。同作では新たに[[サックス]]を加え、スティーヴ・マッケイ(Steve MacKay)が参加している。ところが、売上は前作より伸び悩み、チャートインすら果たせず、エレクトラとの契約も打ち切られる。さらに、[[アルコール中毒]]になっていたデイヴが解雇され、ベーシストはジーク・ゼトナー(Zeke Zettner)、ジミー・レッカ(Jimmy Recca)と目まぐるしく入れ替わった。また、イギーを筆頭にロンを除くメンバーは[[ヘロイン]]に溺れ、活動休止状態に陥ってしまう。
そのような中、イギーは1971年に[[デヴィッド・ボウイ]]に出会い、そのミキシングの下、サード・アルバム『[[ロー・パワー]]』(Raw Power)を製作。イギー・アンド・ザ・ストゥージズの名義で、1973年に発表される。このアルバムも売上は芳しくなかったものの、音楽的には[[パンク・ロック]]に繋がるものとして高く評価されている。
 
;ボウイとの出会い、ロー・パワー、終焉
しかし、サード・アルバム発表の翌年である[[1974年]]2月、イギーのヘロイン中毒などが原因で、解散した。
[[1971年]]、イギーは[[デヴィッド・ボウイ]]に出会い、ボウイの協力の下でアルバムの制作を開始する。当初は新たなギタリストのジェームズ・ウィリアムソン(James Williamson)にサポート・ミュージシャンを加えた編成となる予定だったが、結局アシュトン兄弟を呼び寄せることとなった。ギターはジェームズが弾くことになったため、ロンはベースに転向した<ref>[http://ro69.jp/news/detail/99258 イギー・ポップ、亡くなったスコット・アシュトンとの思い出を語る] ro69.jp 2014年3月21日</ref>。
 
[[1973年]]、『[[ロー・パワー]]』(Raw Power、当時の邦題は『淫力魔人』)を「イギー・アンド・ザ・ストゥージズ」の名義で[[コロムビア・レコード]]から発表。しかし、全米182位に留まり、ツアーの途中でコロンビアはレコード契約を解除。さらにボウイの所属するメインマン・マネージメントからも見放された。
2003年に、イギーとロン、スコットの3人に、元ミニットメンのマイク・ワットをベーシストとして加え、再結成。後に、スティーヴも参加した。2007年には、ニュー・アルバム『[[ザ・ウィヤードネス]]』(The Weirdness)を発表。
 
しかし、サード・アルバム発表の年である[[1974年]]2月、イギーのヘロイン中毒、活動の行き詰まりなどが原因でストゥージーズは解散した。
2009年1月6日、ロンが自宅で死亡しているのが発見された。数日前に心臓発作で斃れたものと推定された。2009年5月のインタビューで、イギーは、スコット、マイクにジェームズ・ウィリアムソンを加えて、『ロー・パワー』を演奏する計画を明らかにしている。
 
;解散中の出来事
[[2010年]]、[[ロックの殿堂]]入りを果たす。授賞式でのプレゼンターは、[[グリーン・デイ]]の[[ビリー・ジョー・アームストロング]]が務めた。
解散中の[[1975年]]にイギーはジェームズとともにレコーディングを行い、これは[[1977年]]にイギー・ポップとウィリアムソンの共同名義で『キルシティ』というタイトルでリリースされた<ref>[http://ro69.jp/news/detail/25357 ザ・ストゥージズに黄金期のギタリストが復帰] ro69.jp 2009年9月7日</ref>。[[1977年]]、イギーは再びボウイと組んでソロ・デビュー。バンドでは得られなかった商業的成功を手にする。
 
[[1997年]]、イギーがミックスをやり直した『ロー・パワー』が新たにリリースされた。これはボウイによるミックスに対する不満の声に応えたもので、リミックスによってよりカオティックな音像が明らかになった。
2014年3月16日、スコット・アシュトンの訃報がイギーによって[[Facebook]]で伝えられた。
 
;再結成
[[2003年]]、イギーとロン、スコットの3人に、元ミニットメンのマイク・ワットをベーシストとして加え、実に29年ぶりに再結成。後に、スティーヴも参加した。[[2007年]]には、ニュー・アルバム『[[ザ・ウィヤードネス]]』(The Weirdness)を発表。
 
[[2009年]]1月6日、ロンが自宅で死亡しているのが発見された。数日前に心臓発作で斃れたものと推定された。2009年5月<ref>[http://ro69.jp/news/detail/16572 ザ・ストゥージズインビューで、イギーは、コッ、マイクにジェームズ ロンウィリムソシュトを加えて、『ロが死亡 イギー・パワー』を演奏する計画を明らかにしているポップが追悼コメント] ro69.jp 2009年1月8日</ref>
 
[[2010年]]、[[ロックの殿堂]]入りを果たす。授賞式でのプレゼンターは[[グリーン・デイ]]の[[ビリー・ジョー・アームストロング]]が務めた。
 
[[2013年]]4月、6年ぶりの新作『レディ・トゥ・ダイ』を発表。亡くなったロンに代わりジェームズがギターを担当した<ref>[http://ro69.jp/news/detail/78824 イギー・アンド・ザ・ストゥージズ、6年ぶりの新作『Ready to Die』を4月30日にリリース] ro69.jp 2013年2月26日</ref>。
 
2014年3月16日、スコット・アシュトンの訃報がイギーによって[[Facebook]]で伝えられた。
 
== メンバー ==