「コルモラン (仮装巡洋艦・2代)」の版間の差分

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[[File:HMAS Sydney (AWM 301473).jpg|thumb|200px|本艦と戦い、撃沈された「シドニー」。]]
 
オランダ商船「Straat Malakka」を装った本艦は、1941年11月29日、西オーストラリア・シャーク湾沖約170浬の海域で、[[オーストラリア海軍]]の[[リアンダー級軽巡洋艦]]「[[シドニー (軽巡洋艦・2代)|シドニー]]」と遭遇した<ref name=anzac/>。シドニーからは発光信号で船名を確認する旨の信号が送られたが、本艦は信号が判らないふりをして時間稼ぎをした。その後も[[オランダ]]商船を装いながら、[[国際信号旗|旗りゅう信号]]などで[[オランダ]]商船を装いながら停船命令に従いつつシドニー脱出接近機会待ちうかがい、距離が1,300mまで縮まった後、本艦はオランダ商船旗を降ろし、ドイツ軍艦旗を掲げて近距離砲戦に移行した<ref name=anzac/>。
 
至近距離での発砲となったことから、本艦の射弾は初弾からシドニーに命中し、艦橋や射撃指揮装置を破壊した<ref name=anzac/>。これによりシドニーは有効な対処ができなくなり、更に本艦が発射した魚雷が1番主砲塔直下に命中して前部主砲群が使用不能となった<ref name=anzac/>。シドニーは後部3・4番主砲で応戦を続けたが、その後も着弾が相次いで火災を起こし、次第に本艦から離れていった<ref name=anzac/>。
 
本艦もシドニーの射弾を各所に受け、機関部への被弾により燃料タンクから出火した。また、機関部を損傷したため消火ポンプを使用の動力が絶たれて消火活動ができなくなり、火災が全船に拡大して機雷への誘爆の危険が高まったことから、艦長は艦の放棄を決意した<ref name=anzac/>。幸い、艦載艇は無事だったので、生存乗員は脱出することができた。この海戦([[:en:Battle between HMAS Sydney and German auxiliary cruiser Kormoran]])でコルモランの乗員約82名(士官5名、水兵52名、中国人の洗濯屋1名)が死傷し、残りの317名(そのうち3名は中国人の洗濯屋)はオーストラリアの捕虜となった<ref name=anzac/>。シドニーもこの戦闘で沈没し、生存者はなかった<ref name=anzac/>。
 
== 脚注 ==