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{{Otheruses|20世紀に存在した王国|古代のエジプトに存在した王国・王朝|古代エジプト}}
{{基礎情報 過去の国
|略名 = エジプト
|国歌 = Eslami ya Misr({{Rtl-lang|ar|اسلمى يا مصر}})
|国歌追記 =
|位置画像 = Egypt File:Kingdom mapof Egypt.png
|位置画像説明 =
|公用語 = [[アラビア語]]
|注記 =
}}
'''エジプト王国'''(エジプトおうこく、{{Rtl翻字併記|ar|'''المملكة المصرية'''|''Al-Mamlakah al-Miṣrayyah''}})は、現在の[[エジプト|エジプト・アラブ共和国]]の地域を領土とし、[[1922年]]から[[1953年]]の間[[ムハンマド・アリー朝]]が支配していた[[王国]]。{{仮リンク|エジプト革命 (1952年)|en|Egyptian Revolution of 1952|label=エジプト革命}}により、[[共和制]]に移行されるまで存在した。
 
== 歴史 ==
 
<!--- ;領土拡大と王朝の成立 --->
[[1820年]]に後の[[スーダン]]に侵攻し、東部のフンジュ・スルタン国を滅ぼし、ダール・フール・スルタン国から[[コルドファン]]を奪い併合した。さらに[[ギリシャ独立戦争]]の出兵の代償としてオスマン帝国に[[歴史的シリア|シリア]]の割譲を要求し、[[エジプト・トルコ戦争]]を起こし勝利するものの、列強諸国の介入により、ムハンマド・アリーは自らの子孫による総督の世襲を認めさせる代わりに[[シリア]]の割譲を諦めることになった。しかしながら、世襲制を認められたことにより、[[ムハンマド・アリー朝]]が事実上成立した。
 
=== イギリスの保護国へ ===
[[1869年]]に[[スエズ運河]]が開通するとエジプトの国際的な地位は高まった。しかし、スエズ運河の建設は財政上大きな負担となり、[[1876年]]エジプトの財政は破綻し、[[イギリス]]や[[フランス]]などの列強諸国に管理されることになった。
 
[[1881年]]になると経済的な外国支配を打破すべく[[アフメド・ウラービー]]らが民族運動(ウラービー運動、[[ウラービー革命]]ともいう)を展開する。これを危惧した[[イギリス]]は[[1882年]]に軍隊を派遣、これを鎮圧するとエジプトを占領した。これと並行して、[[スーダン]]において[[マフディー戦争]]が勃発し、スーダンはエジプトからマフディーの支配へ移行した([[英埃領スーダン]])
これと平行して、[[スーダン]]において[[マフディー戦争]]が勃発し、スーダンはエジプトからマフディーの支配へ移行した([[英埃領スーダン]])。
 
[[第一次世界大戦]]が勃発するとイギリスはエジプトの[[保護国]]化を宣言、オスマン帝国から完全に分離させた。
 
=== 第一次世界大戦後のエジプト ===
[[1919年]]、[[第一次世界大戦]]が終結し、エジプトは[[パリ講和会議|講和会議]]に独立のための使節を送ろうとしたが、イギリスの拒否により断念する。これにより、大戦以前からあった反英運動や独立運動がいっそう激しく行われるようになった。直接的な支配が不可能であると判断したイギリスは[[1922年]]ついにエジプトを独立させることになった([[エジプト革命 (1919年)|エジプト革命]])。
 
[[1923年]]に憲法を制定し、エジプトは[[立憲君主制|立憲君主国]]となった。[[1936年]]にイギリスと同盟条約を締結し、駐留[[イギリス軍]]の縮小に成功した。
 
=== 第二次世界大戦とその後 ===
[[第二次世界大戦]]が勃発すると、[[1940年]]エジプトは[[イタリアのエジプト侵攻|イタリア軍に侵攻される]]、[[1942年]]の[[エル・アラメインの戦い]]で[[バーナード・モントゴメリー]]率いる[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国軍]]が[[エルヴィン・ロンメル]]が率いる[[ドイツ・アフリカ軍団]]からなるドイツ・イタリア枢軸軍に勝利すると、独伊軍はエジプトから撤退、壊滅した。なお、この時のファルーク1世の連合国寄りの姿勢が、[[枢軸国]]派の将校が多かったエジプト軍内部の不満を高めた。
 
<!--- ;パレスチナ問題 --->
第二次世界大戦末の[[1945年]][[3月]]にエジプトは[[シリア]]、[[イラク王国|イラク]]、[[ヨルダン]]、[[レバノン]]、[[サウジアラビア]]、[[北イエメン]]に呼びかけ[[アラブ連盟]]を結成した。[[1948年]][[イスラエル]]が建国されるとアラブ諸国が[[宣戦布告]]、[[第一次中東戦争]]が勃発した。しかし、自国こそがアラブのリーダーと自負したエジプトと同類であるイラク及びサウジアラビアなどと歩調が取れるはずもなく、[[1949年]]にイスラエルが勝利するとエジプトは敗戦国となった。こうして、エジプト王家に対する信頼は完全に失墜した。
 
=== エジプト革命 ===
[[1952年]][[1月]]、エジプト各地で駐留イギリス軍が襲撃される事件が多発する。同年[[7月23日]]、[[ムハンマド・ナギーブ]]と[[ガマール・アブドゥル=ナーセル]]率いる[[自由将校団]]が[[クーデター]]を決行した。[[7月26日]]、[[ファールーク1世 (エジプト王)|ファールーク1世]]が退位し、幼い[[フアード2世 (エジプト王)|フアード2世]]を残して[[イタリア]]に亡命した。[[フアード2世 (エジプト王)|フアード2世]]が新たな国王に即位するものの、[[1953年]][[6月19日]]に革命政権は王政の廃止と共和制移行を宣言し、{{仮リンク|エジプト革命 (1952年)|en|Egyptian Revolution of 1952|label=エジプト革命}}は終結した。
 
== 歴代国王 ==
# [[フアード1世 (エジプト王)|フアード1世]](在位:[[1922年]] - [[1936年]])
# [[ファールーク1世 (エジプト王)|ファールーク1世]](在位:[[1936:1936]] - [[1952年]])
# [[フアード2世 (エジプト王)|フアード2世]](在位:[[1952:1952]] - [[1953年]])
 
== 外部リンク ==
[[Category:北アフリカ史]]
[[Category:20世紀以降のイスラム世界史]]
 
[[Category:イギリス帝国]]
[[Category:過去のアフリカの国]]
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