「支那事変」の版間の差分

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日本では初め'''北支事変'''(ほくしじへん)、後には'''支那事変'''(しなじへん)の呼称を用いた<ref name="事変呼称"/>。新聞等マスコミでは'''日華事変'''(にっかじへん)などの表現が使われる場合もあった。'''日支事変'''(にっしじへん)とも呼ばれる。
 
戦後の学校教育では当初「日華事変」に統一されていたが、昭和50年代以降{{要出典|date=2011年1月}}は徐々に「日中戦争」という呼称が広まった。これは日中双方が「事変」としていたが、事実上の戦争であるとの歴史学界による学説、さらに{{要出典範囲|date=2013年7月|主として[[日本教職員組合]]など教育現場や[[報道機関|マスコミ]]が、占領軍([[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]])や[[中華民国]]・[[中華人民共和国]](建国前)両政府の「中国を侮蔑するニュアンスを含む」とする政治的圧力をうけて「[[支那]]」という言葉の使用を避けた為である。}}なお本来「支那」という呼称に差別的意味はない<ref name=sakai20040224>{{cite web
| author = [[酒井信彦]]
| date = 2004-02-24
| url = http://sakainobuhiko.com/2004/02/post-18.html#extended
| title = 中国・中華は侵略用語である ― シナ侵略主義の論理構造 ―
| work = 財団法人・日本学協会『日本』 2004年(平成16年)2月号
| publisher = 日本ナショナリズム研究所
| accessdate = 2011-01-22
}}</ref>とする研究もある。{{main|支那}}
 
現在「支那事変」の呼称を使用するのは、[[防衛庁]]防衛研究所戦史室(現在の[[防衛省]][[防衛研究所]]戦史部の前身)や準公式戦史である『[[戦史叢書]]』などで歴史資料を引用する場合、[[靖国神社]]や各県の[[護国神社]]での呼称使用の場合にほぼ限られている{{要出典|date=2011年1月}}。なお、{{要出典範囲|[[産経新聞]]の紙面上でもこの呼称使用がなされていることがある|date=2011年8月}}。
 
== 脚註 ==