「奈良の春日野」の版間の差分

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奈良市出身の[[明石家さんま]]が[[ギャグ]]として取り上げたことから曲が見直され、[[1987年]][[3月3日]]に、A面をこの曲に変更した形で、シングルレコードが再発売(ビクター SV-9237。ジャケット・デザインはオリジナル盤と同一)されヒットした。また、これに便乗した[[菓子]]や[[玩具]]までもが発売され、1987年の社会現象へと繋がった。
 
きっかけは前年の[[1986年]]、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の人気番組『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]』の定番コーナーであった、さんまと[[タモリ]]のトークコーナーに、<!-- 「ペンネーム・宇宙旅行の渡り鳥」という人が -->「このような吉永さんの曲があるのをご存知ですか?」という内容の投書が寄せられ、曲がかけられたことである。吉永のファン「サユリスト」としても有名なタモリは投書に対し「嘘つけ!小百合ちゃんがそんな歌を唄うはずがない!!」と憤ったが、その後実際に吉永が歌唱するレコードが流れるのを聴くと、さすがにタモリは吃驚仰天し落胆したかのような反応をみせた。それを尻目に勢い付いたのがさんまで、逆に食いついて面白がってみせた。視聴者からの反応も大きく、件のコーナーにおいては翌週以降もしばらく、この曲の話題が続くこととなった。
 
やがてさんまはこの曲の「振り」を自ら考案。「いいとも!」の件のコーナーで披露しただけでなく、これがやはりフジテレビの人気番組であった『[[オレたちひょうきん族]]』のなかでも流用されることになった。ちょうど丁度この頃、本来は[[ビートたけし]]とさんまの2人が中心となって盛り上げるコーナーであった「[[タケちゃんマン|THE TAKECHANMAN]]」が、[[フライデー襲撃事件]]に伴うたけしの謹慎(活動自粛)によって事実上の休止を余儀なくされ<!-- 「THE TAKECHANMAN」はコーナー名としては継続していたはず -->、その埋め合わせに試行錯誤を重ねていた時期でもあった。さんまと[[渡辺正行]]が[[シカ|鹿]]の着ぐるみに入って登場し、[[若草山]]が描かれた[[書割]]などをバックに、曲のメロディに合わせた振りを踊り、場を盛り上げるというもので、これは「鹿フン踊り」などと呼ばれ、「ひょうきん族」においても定番化した。
 
この曲が脚光を浴びた当時、既に日本映画界を代表する大女優の地位を確固たるものにしていた吉永が、まるでコントをそのまま歌にしたような曲を唄っていたことで、「あの吉永小百合が若い頃にこんな歌を」といったギャップが、話題となった要因といえる。<br />吉永の事務所サイドは、この降って沸いたようなブームに対して、当初は特に反応をみせなかったものの、前述のシングル盤再発売の際、「鹿のフン」というフレーズだけが一人歩きしていた状況に、さすがに「'''あまり行き過ぎのないように'''」と関係者に対しやんわりと釘を刺した、と当時伝えられた<!-- 週刊誌での記事から。週刊文春、週刊新潮、週刊宝石のいずれかだったと思う。ニュアンスとしては「悪乗りしないように」「調子に乗らないように」と自重を求めた形だった。 -->。