「兒説」の版間の差分

編集の要約なし
{{中華圏の人物
|名前= 兒説
|画像種別=
|画像=
|画像の説明=
|出生= 不詳
|死去= 不詳
|出身地= [[河南省]]
|職業= [[稷下の学士]]
|繁体字= 兒説
|簡体字= 儿説
|ピン音= ér shuō
|通用=
|注音=
|注音二式=
|和名= げいせつ/げいえつ
|発音= ェ゛ァー シュォ
|ラテン字=
|英語名=
|本名繁体字=
|本名簡体字=
|本名ピン音=
|本名通用=
|本名注音=
|本名注音二式=
|本名和名=
|本名発音=
|本名ラテン字=
|本名英語名=
}}
 
兒 説(げい ぜつ(えつ)、生没年不明)は[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]の思想家。[[宋 (春秋)|宋]]の出身だが、[[田斉|斉]]に行き、[[稷下の学士]]の一人となった。白は色に名づけられた概念であり、馬は形に名づけられた概念であるからにして、白馬は二つの概念であり、一つの概念である馬とは別物だ、という[[白馬非馬説]]を唱え、稷下の学者を降参させたことで有名。兒説はいわゆる[[弁者]]であった。白馬非馬説は他に[[公孫竜]]によって唱えられたが、兒説のほうが少し先であった。
 
312

回編集