「コンスタンス・ド・ブルターニュ」の版間の差分

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'''コンスタンス・ド・ブルターニュ'''(Constance de Bretagne, [[ブルトン語]]:Konstanza Breizh, [[1161年]] - [[1201年]][[9月5日]])は、[[ブルターニュ]]女公(在位:1166年 - 1196年)、[[リッチモンド伯|リッチモンド女伯]](1171年 - 1201年)。'''コンスタンス・ド・パンティエーヴル'''(Constance de Penthièvre, ブルトン語:Konstanza Penture)とも。ブルターニュ公[[アルテュール1世 (ブルターニュ公)|アルテュール1世]](アーサー・オブ・ブリタニー)の母。ブルターニュ公[[コナン4世 (ブルターニュ公)|コナン4世]]と[[マーガレット・オブ・スコットラハンティングダ]]([[スコットランド]]王[[デイヴィッド1世 (スコットランド王)|デイヴィッド1世]]の孫娘、ノーサンバランド伯・ハンティンドン伯ヘンリーの娘、スコットランド王[[マルカム4世 (スコットランド王)|マルカム4世]]と[[ウィリアム1世 (スコットランド王)|ウィリアム1世]]の姉妹)の唯一の子。
 
1166年に父コナン4世が彼女のためを思って譲位し、コンスタンスはブルターニュ女公に就いたが、実際には[[イングランド]]王[[ヘンリー2世 (イングランド王)|ヘンリー2世]]が実権を握っていた。[[ノルマン・コンクエスト]]以来、ブルターニュ公はフランス王ではなくノルマンディー公(この当時はイングランド王でもある)に臣従礼をとっており、またイングランド王以外はブルターニュ伯を公とは呼んでいなかった。