「緑のハインリヒ」の版間の差分

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== 背景 ==
ケラーが『緑のハインリヒ』の構想を最初に抱いたのは1842年から1843年にかけての冬であったようであるが、実際に執筆に着手したのは1846年のことである。構想の当初は少年時代の回想にはさほど重きが置かれていなかったが、この間に[[ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ|フォイエルバッハ]]の唯物論的人間学に触れて影響を受けたことによって、少年時代からの成長物語が前面に押し出され、瞑想的な傾向に変わって心理的・写実的な傾向を強く帯びることとなった。画業に対する挫折、成功しなかった恋愛体験など、内容はケラーの実人生を強く反映したものとなっている。初版の絶望的な結末も作者の当時の心理状態を反映したものである。作品は困窮の中、出版社から事実上の前借りをしながら書き進められた。
 
芸術家小説、ことに天才の挫折というテーマに関わるの本作品の着想については[[バルザック]]の『[[知られざる傑作]]』や『[[絶対の探求]]』からの影響も指摘されている。加えてケラーは[[ジャン・パウル]]を私淑しており、初版の作品構成はジャン・パウルが『美学入門』で説いている「読者にまず成長過程の転換点に立っている主人公を示す」という技法に沿い、結末に近い部分が書き出しに置かれていた。また先行する教養小説『[[ヴィルヘルム・マイスターの修業時代]]』とのモチーフ等の共通性も多い。