「白馬非馬」の版間の差分

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『公孫竜子』には、白馬を視覚で捉えるとき、「白い」という色彩が、「馬」という形に組み合わされて白馬になるが、もし視覚で捉える色彩を独立させて考えてみると「白馬」とは無意味な言葉である、と書かれている。
 
[[兒説]]はこの説によって自分がその時属していた[[稷下の学士]]の他の学者たちを降参させたことで有名である。
 
[[兒説]]は、[[韓非子]]にも話が載せられている。「[[兒説]]が白馬に乗って関を通る時、馬には通行税がかけられていたため、役人は税を取ろうとした。しかし、[[兒説]]は白馬非馬説を唱えて税を免除されようとしたが、結局役人の方が引かず、税を取られてしまった。」という話である。
 
[[公孫竜]][[兒説]]より時代はやや遅れるが、[[名家 (諸子百家)|名家]]に属して[[平原君]]の食客となった。しかし、その末路は不幸であり、彼の唱える白馬非馬説を、[[道家]]の[[慎到]]が
 
「そんな論理など在っても役に立たない。」
 
と否定し、[[平原君]]も次第に疎遠してきたので最後は[[悶死]]してしまった。
 
== 参考文献 ==