「魯智深」の版間の差分

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当初は[[文盲]]であったが、後に字が読めるようなっている。少々思慮は浅いが義侠心に厚く、困っている者を見ると助けずにはいられない性格。また、同じ猪突猛進タイプの好漢である[[武松]]や[[李逵]]が無関係な人間や弱者にも容赦のない所があるのに対し、魯智深は弱い立場の人間に拳を向けることはなかった。
 
== 生涯物語中での活躍 ==
元は[[渭水]]経略府の小官だった。[[史進]]が師匠の[[王進]]を訪ねて訊ねて渭州に立ち寄った際に親交を深めたが、その直後持ち前の義侠心から起こした事件(旅芸人を苦しめる長者を拳骨3発で撲殺)が原因で逃亡者となる。逃亡中に旅芸人親子の勧めで寄った屋敷の主人趙員外の勧めで、官憲の追及を逃れるために出家する。[[中国四大仏教名山|仏門の名山]]である[[五台山 (中国)|五台山]]の長老の智真に見込まれて、師匠自らの一字を取った智深という戒名を授かる。師匠である智真長老は、魯智深が将来大きな悟りを開くものと予言していたが、天衣無縫の荒法師で、酒を好みしばしば騒ぎを起こしたためやむなく破門にされ、智真の勧めで[[開封|東京開封府]]にある大相国寺の菜園に身を寄せた。なお、この旅の途中で、麓の庄屋の娘と無理矢理祝言を上げようとした桃花山の山賊・[[周通]]を懲らしめ、瓦灌寺の凶賊たちを偶然再会した史進とともに倒している。