「倉沢淳美」の版間の差分

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[[1982年]]、[[テレビ朝日]]の人気番組『[[欽ちゃんのどこまでやるの!?]]』で、『萩本家3人娘』が成長していったのをきっかけに登場するユニット'''[[わらべ]]'''の「かなえ」役で[[芸能界]]にデビュー。その後、ソロの[[アイドル歌手]]として『[[プロフィール (倉沢淳美の曲)|プロフィール]]』、『[[ある愛の詩 (倉沢淳美の曲)|ある愛の詩]]』、『卒業』、『六月の花嫁』ほか計10枚のシングルをリリースした。『卒業』は、[[1985年]]に倉沢と[[尾崎豊]]、[[斉藤由貴]]、[[菊池桃子]]の計4人が同名曲をシングルリリース、競作となり大きな話題を呼んだ。倉沢の曲が4人の中では最も売れなかったが、卒業式シーズンになると、現在でもいわゆる“卒業ソング”が、毎年発売されるきっかけとなった。
 
デビュー曲『プロフィール』は、その名の通り倉沢の生年月日、身長、性格、身体的特徴などを歌詞に盛り込んでおり、16歳という年齢を盛り込んだ[[松本伊代]]のデビュー曲『[[センチメンタル・ジャーニー (松本伊代の曲)|センチメンタル・ジャーニー]]』と同様、歌手のプライバシーが盛り込まれた曲として一部で話題になった。その為[[日本放送協会|NHK]]ではセンチメンタル~同様自己宣伝になるという理由で歌う事が出来ずB面の楽曲を歌った事もあった。
 
ソロデビュー直後の[[1984年]][[4月8日]]午後3時45分頃、札幌市において開催されたサイン会の会場で、サイン会終了後に会場玄関にてファンの見送りと握手をしているところに、サイン会に参加していた男から突然、刃物で斬り付けられ右手首を約6cm切る傷を負った。 犯人は26歳の会社員で警察の取調べに対し「生意気だから切った」と供述した。
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== 出演作品 ==
<!-- 単発のゲスト出演は不要。レギュラー番組のみ記述をお願いします。「Wikipedia:ウィキプロジェクト 芸能人」参照 -->
* [[まんがなるほど物語]](1986 - 1988年、[[TBSテレビ]]
* [[NISSANミッドナイトステーション ザ・欽グルスショー]](1984年4月 - 1985年9月、[[TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ]]
* [[新春仕事人スペシャル 必殺忠臣蔵]](1987年、ABC)[[ABCテレビ|ABC]])
* [[さすらい刑事旅情編]] 第11話「九州縦断SL列車〝あそBOY〟号 火の国の女の殺意」(1988年、ANB)[[テレビ朝日|ANB]])
* [[長七郎江戸日記]] 第2シリーズ 第41話「妻たちの仇討」(1989年、NTV)[[日本テレビ放送網|NTV]])
* [[水曜グランドロマン]]・私のピノッキオ(1989年、NTV)
* [[名奉行 遠山の金さん#第3シリーズ|名奉行 遠山の金さん 第3シリーズ]] 第15話「寛永寺炎上、危機一髪」(1990年、ANB)
* [[銭形平次 (北大路欣也)|銭形平次]] 第1シリーズ 第3話「花嫁の幽霊」(1991年、CX)[[フジテレビジョン|CX]])
* [[日本ガス協会]](CM)([[コマーシャルメッセージ|CM]])
 
== シングル ==