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'''戴 宗'''(たい そう)は、[[中華人民共和国|中国]]の[[小説]]で[[四大奇書]]の一つである『[[水滸伝]]』の登場人物。
 
== キャラクター概要 ==
天速星の生まれ変わりで、[[梁山泊]]第二十位の好漢。渾名は'''神行太保'''(しんこうたいほう)で、'''神行法'''(しんこうほう)という道術の使い手であることに由来する。元牢役人で[[道士]]でもある。長身痩躯、頭の鉢が大きい。飄々とした所が有る人物で義侠心も強いが、牢役人時代は付け届けを囚人に要求するなど俗っぽい所もある。[[呉用]]とは古くからの親友らしい。また[[李逵]]を制御することが出来る数少ない人物であり、暴れん坊で我慢の効かない李逵も彼にはまったく頭が上がらず、戴宗を兄貴と慕い言いつけもよく聞く。
天速星の生まれ変わりで、序列は[[梁山泊]]第二十位の好漢。渾名は'''神行太保'''(しんこうたいほう)で、'''神行法'''(しんこうほう)という道術の使い手であることに由来。
 
天速星の生まれ変わりで、[[梁山泊]]第二十位の好漢。渾名は'''神行太保'''(しんこうたいほう)で、'''神行法'''(しんこうほう)という道術の使い手であることに由来する。元牢役人で[[道士]]でもある。長身痩躯、頭の鉢が大きい。飄々としたところ人物で義侠心強い人物だが、牢役人時代は付け届けを囚人に要求するなど俗っぽいもある。[[呉用]]とは古くからのらしい。また暴れん坊の[[李逵]]を制御することが出来る数少ない人物であり、暴れん坊で我慢の効かない李逵も彼は戴宗にはまったく頭が上がらず、戴宗を兄貴と慕い言いつけもよく聞いた
== 生涯 ==
戴宗は江州で牢役人の頭をしており子分の李逵とともに下役人や囚人に畏怖されていた。またその神行法の能力を見込まれ[[宰相]][[蔡京]]の息子である知事に[[飛脚]]としても重宝されていた。
 
== 物語中での活躍 ==
ある日有名な好漢で旧友[[呉用]]の手紙を預かっていた流人[[宋江]]と意気投合するが、彼は悪人に謀叛をでっち上げられ牢へぶち込まれてしまう。戴宗は宋江が無実だと知っていたが知事から正式な判決をたずねる手紙を都へを届けるよう言い付けられてしまう。途中、偶然梁山泊へ辿り着いた戴宗はこの事を首領の[[晁蓋]]と軍師となっていた呉用に相談した。結果呉用の策により「宋江を都に護送せよ」という内容の手紙を蔡京の筆跡を真似て作成し、江州へ戻った戴宗はこれを知事に届けた。知事はこれを真に受けあとは梁山泊の近くに来た時奪い返すだけだったが、知事の取り巻きでこの騒動の黒幕[[黄文柄]]が、息子相手に不自然な敬称を使われていると贋物であることを見抜き戴宗も捕まって宋江ともども死刑宣告を受けてしまった。しかし処刑の当日に駆けつけた梁山泊と李逵の活躍で救出され、そのまま梁山泊の一員となった。
戴宗は江州で牢役人の頭をしており子分の李逵とともに下役人や囚人に畏怖されていた。またその神行法の能力を見込まれ[[宰相]][[蔡京]]の息子である知事蔡得章に[[飛脚]]としても重宝されていた。
 
ある日有名な好漢で旧友[[呉用]]の手紙を預かっていた[[宋江]]と意気投合するが、彼は悪人[[黄文柄]]よって謀叛をでっち上げられ牢へぶち込ま入れられてしまう。戴宗は宋江無実だと知っていた戴宗は弁明する叶わず、知事である蔡得章から正式な都にいる蔡京に判決の処遇たずねる仰ぐ手紙を都へを届けるよう言い付けられてしまうところが、その道偶然にも梁山泊へ辿り着いた戴宗はき、この事を首領の[[晁蓋]]と軍師となっていた呉用に相談した。結果呉用の策により「宋江を都に護送せよ」という内容の手紙を蔡京の筆跡を真似て作成し、江州へ戻った戴宗はこれを知事に届けた。知事はこれを真に受けあとは梁山泊の近くに来た時奪い返すだけだったが、知事の取り巻きでこの騒動の黒幕[[黄文柄]]、息子相手に不自然な敬称を使わていると贋物であることを見抜いたため戴宗も捕まって縛、宋江ともども死刑宣告を受けてしまった。しかし処刑の当日に駆けつけた梁山泊と李逵の活躍で救出され、そのまま梁山泊の一員となった。
梁山泊では神行法の能力を生かして情報収集、伝令、諜報、工作、送迎、捕虜救出、行方不明者や人材の捜索などで八面六臂の大活躍。彼がスカウトした人材は[[楊林]]、[[裴宣]]、[[トウ飛|鄧飛]]、[[孟康]]と有能な人材が多く、間接的に[[石秀]]、[[楊雄]]、[[時遷]]らも梁山泊へと導いた。[[方臘 (水滸伝)|方臘]]討伐後、朝廷から武節将軍の称号と兗州の司令官の地位を与えられるが、辞退して[[泰山]]で出家、数ヵ月後に病でもないのに死期を悟り、別れの宴の最中笑いながら大往生した。死後も夢の中の[[徽宗]]を梁山泊へ導く役を務めている。[[水滸後伝]]では生存しており以前と同様に活躍する。
 
梁山泊では神行法の能力を生かして情報収集、伝令、諜報、工作、送迎、捕虜救出、行方不明者や人材の捜索などで八面六臂の大活躍。彼がスカウトした人材は特に[[楊林]]、[[裴宣]]、[[トウ飛|鄧飛]]、[[孟康]]と有能な人材が多くをスカウトし、間接的に[[石秀]]、[[楊雄]]、[[時遷]]らも梁山泊へと導いた。[[方臘 (水滸伝)|方臘]]討伐後、朝廷から武節将軍の称号と兗州の司令官の地位を与えられるが、辞退して[[泰山]]で出家、数ヵ月後に病でもないのに死期を悟り、別れの宴の最中笑いながら大往生した。死後も夢の中の[[徽宗]]を梁山泊へ導く役を務めている。[[水滸後伝]]では生存しており以前と同様に活躍する。
== 神行法 ==
神行法とは梁山泊で戴宗のみが使用できる道術の一種である。この術は呪力をこめた[[護符]]を足にくくりつける事により、人並みはずれた速度で走る事が可能となるというもので、両足に一枚ずつ護符を貼れば一日で五百里(約200km)、二枚ずつ貼れば八百里(約300km)を駆けることができる。この戴宗の能力により梁山泊の情報伝達速度は当時抜きん出たものとなり、戴宗は非戦闘員にもかかわらず梁山泊において無くてはならない存在となっているのである。
 
なお、続編にあたる『[[水滸後伝]]』では、生存しており以前と同様に活躍する。
また術者だけでなく、術者本人が同行していれば他の人物にも神行法をかける事ができる。ただし同時に術を駆ける事ができるのは一人までのようで、二人以上が戴宗とともに神行法を使った事は無い。また道術という性質上、術者は酒と生臭を断つ事が求められる。術者だけがそうしているだけでよく、同行者にはこの制約は当てはまらない。
(とは言うものの、横山光輝の「水滸伝」では、梁山泊と出会うきっかけとなった居酒屋兼宿泊施設では、神行法によって手紙を届ける旅の途中であるにもかかわらず「おやじ、酒を少々と豆腐をくれい!」と注文している。)
 
== 神行法 ==
しかし、[[高唐州]]戦において李逵とともに[[公孫勝]]を迎えに行く際、戴宗はいつも酒で面倒をおこす李逵に方便を使いこの制約を守るよう言いつけた。ところが李逵は戴宗の目を盗んで酒と牛肉を食べてしまう。これを目撃した戴宗は李逵に途中で止まることが出来なくなる神行法をかけてこれを懲らしめた。この事実を見ると神行法は単に早く走れる術ではなく(術者本人を含め)人間の動作を操ることに本質があるように伺える。(李逵のこのエピソードは横山光輝の「水滸伝」にも書かれており、先の居酒屋の件を覚えている読者少年たちは「自分自身は酒を飲んでも良いのかい?」と矛盾を話題にしたものである。)
神行法とは梁山泊で戴宗のみが使用できる道術の一種である。この術は呪力をこめた[[護符]]を足にくくりつけることにより、人並みはずれた速度で走る事が可能となるというもので、両足に1枚ずつ護符を貼れば1日で五百500里(約200km)、2枚ずつ貼れば八百800里(約300km)を駆けることができる。この戴宗の能力により梁山泊の情報伝達速度は当時抜きん出たものとなり、戴宗は非戦闘員にもかかわらず梁山泊において無くてはならない存在となっているのである。
 
また術者だけでなく、術者本人が同行していれば他の人物にも神行法をかける事ができる。ただし同時に術を駆ける事ができるのは1人までのようで、2人以上が戴宗とともに神行法を使われこと無いなかった。また道術という性質上、術者は酒と生臭を断つ事が求められる。ただし、術者だけがそうしているだけでよく、同行者にはこの制約は当てはまらない。なお、物語中では、[[高唐州戦]]において李逵とともに公孫勝を迎えに行く際、いつも酒で面倒をおこす李逵に方便を使いこの制約を守るよう言いつけた。ところが李逵は戴宗の目を盗んで酒と牛肉を食べたため、これを知った戴宗は李逵に途中で止まることが出来なくなる神行法をかけてこれを懲らしめた。この事実を見ると神行法は単に早く走れる術ではなく(術者本人を含め)人間の動作を操ることに本質があるように伺える
戴宗が何時、何処で、誰からこの術を学んだかは不明で梁山泊の他の道士、公孫勝、[[樊瑞]]もこの術を使用することはない。ただ、百二十回本にのみ[[田虎]]配下の[[馬霊]]なる半ば妖怪に近い人物がもう一人の神行法修得者として登場する。しかも道士としての技量は馬霊の方が上で彼は千里(文簡本では万里)を駆けることが出来た。馬霊が降伏した後、戴宗は彼からこの千里を駆ける神行法を伝授された。
 
戴宗道士が何時、何処で、誰らこの術を学んだかは不明でいる梁山泊の他の道士において公孫勝、[[樊瑞]]もこ戴宗術をみが使用でき道術であり、の特技により非戦闘員にもかかわらず梁山泊において無くてならない存在となってい。しかし『水滸伝』百二十回本にのみ[[田虎]]配下の[[馬霊]]なる半ば妖怪に近い人物がもう一人の神行法修得者として登場する。しかも道士としての技量は馬霊の方が上で彼は千里(文簡本では万里)を駆けることが出来た。馬霊が降伏した後、戴宗は彼からこの千里を駆ける神行法を伝授された。
 
== 関連項目 ==
* [[水滸伝百八星一覧表]]
* [[ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日]]
* [[AKABOSHI -異聞水滸伝-]]
 
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{{水滸伝一百八星}}
[[Category:水滸伝の登場人物|たいそう]]