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→‎身体文化の直伝継承と民族の出自の口承が本来の歴史: 必要なので非文字歴史学補足を施しました。
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だがしかし、本来の歴史とは、身体文化の継承のことである。おいて:ミヌシンスク文明と後継者の北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国。ミヌシンスク文明は世界中の文明の中心文明であった。北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国が世界史の中心で在り続けた。「ゲルマン人」と「支那人」は「北方ユーラシア遊牧騎馬民族を怖がってばかりいた。」ことはゲルマン人の歴史書と支那人の歴史書からかいま見える。
 
第二義的に、建造物を誇示し残す歴史が生まれた。北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国の一部が、南下し東イラン高原入りし、西進しメソポタミアに入り、スメル人と名乗った。
第二義的に、建造物を誇示し残す歴史が生まれた。北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国の一部が、南下し東イラン高原入りし、西進しメソポタミアに入り、スメル人(シュメル人。「シュメール人」とは大日本帝國時代の京都帝國大学の馬鹿な学者たちが「シュメル人ではスメラつまり天皇陛下と近いと勘違いされるので「シュメール人」と伸ばして関係ないよと示そう。」と、「シュメル人とスメラミコトは関係があるのに」関係ないことにした不敬な者共のせいであって、日本だけだ、「シュメール人」などと伸ばしているのは。そもそもは、天皇陛下はスメラミコトであらせられ、北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国では「スメラ」は「宇宙(の中心)」を意味し、スメル人も誇らしげに「スメル」「宇宙」と名乗ったのであるから、関係があって当たり前なのである。スメラミコトは北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国の皇太子が日本列島の扶桑国に天孫降臨なされた生まれながらの正統な天皇である。北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国の皇太子であり、天(支那が「ティエン」を音と意味を盗んで文字化した。)を意味する「ティエン」という思想と、宇宙を意味する「スメラ」を三つ同時に名乗っているのが「天皇」という「これ以上はあり得ない最高の位」である。現に、歴代支那王朝は北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国とその正嫡の日本帝国が怖くて「天皇」は名乗れなかった。名乗ったら、滅亡させられていただろう。)と名乗り、メソポタミア文明を1000年間の長きにわたって担い「巨大建造物」という「文明の病」を世界に伝染させた。なお、スメル人だけ支配機関が長かったのは、北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国由来の、「両王制」と「合議制」を採用していたからだ。両王制とは、政治王「ルガル」と宗教王「エンシ」を指す。両王制において、両王は対等、政治王と宗教王は恒常対等である。また、合議制とは民主制のような不安定な政治システムではなく、各王国の王に優劣はなく合議によって政治が決定されるシステムのことである。補足だが、北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国もスメル人の支配していた期間のメソポタミア文明も日本国も、内部に複数(5国以上)の王国を抱えており、王の中の王が支配する「帝国」である。皇帝を名乗っている支那各代王朝だが、科学的には、単一の王が独占支配する王国に過ぎない。支那王朝が内部の王国であると主張してきた南越(ベトナム)も高麗(朝鮮)も、南越国と高麗国という「外部にあって支那と交易をする独立国家」であるので、支那王朝の自称「皇帝」は「王」に過ぎない。現代支那王朝「中華人民共和国」の王「中国共産党中央委員会総書記」は私を暗殺しないようにしてもらいたい。
 
スメル人を「シュメル人」と呼ぶのは英語訛りである。
第三義的に文字で記し誇り残す歴史が生まれた。これもスメル人がメソポタミアで行ったものである。スメル人は嘘は書かなかった。スメル人のメソポタミア文明での交易を担うのが世界最古の職業「売春婦」であるが、実態は交易の管理と「記録」を主とする巫女(みこ)である。彼女たちはたまに「売春」「も」するだけである。彼女たちの主たる役目は「交易の管理と記録」にこそある。つまり、彼女たち「交易の神聖巫女」「売春婦」が最初の歴史家である。
 
また、「シュメール人」とは大日本帝國時代の京都帝國大学の馬鹿な学者たちが
 
「シュメル人ではスメラつまり天皇陛下と近いと勘違いされるので「シュメール人」と伸ばして関係ないよと示そう。」と、
 
「シュメル人とスメラミコトは関係があるのに」関係ないことにした不敬な者共のせいであって、
日本だけだ、「シュメール人」などと伸ばしているのは。
 
そもそもは、天皇陛下はスメラミコトであらせられ、北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国では「スメラ」は「宇宙(の中心)」を意味し、スメル人も誇らしげに「スメル」「宇宙」と名乗ったのであるから、関係があって当たり前なのである。
 
スメラミコトは北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国の皇太子が日本列島の扶桑国に天孫降臨なされた生まれながらの正統な天皇である。
 
北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国の皇太子であり、
 
天(支那が「ティエン」を音と意味を盗んで文字化した。)を意味する「ティエン」という思想と、
 
宇宙を意味する「スメラ」を
 
三つ同時に名乗っているのが「天皇」という
 
「これ以上はあり得ない最高の位」である。
 
 
現に、歴代支那王朝は北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国とその正嫡の日本帝国が怖くて「天皇」は名乗れなかった。名乗ったら、滅亡させられていただろう。
 
 
さて、北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国からメソポタミアに降臨した民族はスメル人と名乗り、メソポタミア文明を1000年間の長きにわたって担い「巨大建造物」という「文明の病」を世界に伝染させた。
 
なお、スメル人だけ支配機関が長かったのは、北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国由来の、「両王制」と「合議制」を採用していたからだ。
 
両王制とは、政治王「ルガル」と宗教王「エンシ」を指す。
両王制において、両王は対等、政治王と宗教王は恒常対等である。
 
ここで政治王と宗教王の具体例をあげる。
日本が一つの国として存在してきた期間が永いのには、理由がある。
宗教王「天皇」と政治王「征夷大将軍」の両王制であり、
天皇陛下の神道の最高位の現御神(あきつみかみ)としての宗教権威と
征夷大将軍の軍事力・政治力が恒常的に対等でありつづけたからである。
また、日本は合議制を採用してきた。江戸時代までは。
 
両王制が恒常的実在であったから、合議制が安定したから、
日本帝国が一つの帝国として2674年以上も永く存在できたのである。
 
なぜ、このようになったのか?
天皇陛下は推古天皇と聖徳太子の時まで北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国の制度を守り宗教王と政治王をわけておいでだったが、北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国の神官たる蘇我氏とあろうものどもがが両王制に不安定要因を自ら招き入れたため、政治王と宗教王のバランスがくずれた。
 
そこを北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国の智慧を持たない中大兄皇子と中臣鎌足につかれた。彼らは乙巳の変(大化の改新)という「クーデター」を起こし、第一ターゲットである「スメラミコトのフミ」を焼きつくした。スメラミコトのフミには日本人が北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国からどういう誰がどのようにどこどこをどのように経て来たかや、神聖なモノ・コト・ヒトや、神話や、ミトラ教(日本では後に神道となる)などなど漏れることなく記してあるまことの歴史書である。北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国の神聖方位たる北北西20度の聖方位を向いていた法隆寺も、仏像を持ちだして建物だけ焼きつくし、すぐに北面するように再建した。スメラミコトのフミを存在ごとなかったことにし、古事記・日本書紀をすぐに書いた。つまり、歴史の改竄(かいざん)を行ったのだ。
 
正統な歴史は消され、嘘の歴史書が書かれた。だが、古事記・日本書紀はスメラミコトのフミを部分的に盗むしかなかった。それで、古事記・日本書紀を注意深く読むと北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国から日本人が来たことがわかる。
 
例えば、天祖→皇祖(ヒトの祖先「皇祖」はどう生まれたかという神話)の誕生経緯である。
北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国のものは便宜上ギリシア語となっている。
「意味=北方ユーラシア=日本の順」で記す。
 
*天祖=ゼウス=ニニギノミコト(瓊々杵尊)
*天の最高神=パルギオス=ホオリノミコト(火遠理命)=ちぎり=川(水)の神の娘
*最初の人=タルギオス=ウガヤフキアエズノミコト(鵜草葺不合尊)
*皇祖=コラクサイス=カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)
 
 
大日本帝國が大東亞戰爭(大東亜戦争)に負けたのは自由民権運動というテロリズムと大正デモクラシーで政治制度として合議制が崩壊し民主制を取り入れたためである。
 
石原莞爾や陸軍省情報局や特務機関員が上げた情報(インテリジェンス)を政府が生かせなかったためである。
また、民主制下では、マスメディアは、必ず暴走する。
民主制ではマスメディアは政府の判断や決断を妨害するのである。
なんのために政府があるのか?
それすらわからないほど民主制では政府は混乱する。
 
そもそも、陸軍省情報局と各特務機関の情報判断では、「アメリカとは戦ってはいけない。ソビエトを潰すべきだ。」というものだった。
 
アメリカは南北戦争と第一次世界大戦でボロ儲けできたため、第二次世界大戦を拡大してボロ儲けの儲け幅を大きくしたがっていた。それで、ナチスドイツに宣戦布告したいために、大日本帝國を軍事攻撃し、テロリストを援助し、鉄も油も止めて挑発した。援蒋ルートで国民党と八路軍と称するテロリストを支援しつづけた。アメリカ人パイロットのフライングタイガースまで出して宣戦布告なしに大日本帝國に戦争を一方的に仕掛けた。ABCD包囲網で物資を完全に止めて日本の首を絞めて大日本帝國を追い詰めた。アメリカ合衆国は同じことをされたら宣戦布告なしに反撃する。
 
以下が第一の失敗である。挑発とはわかっていた。しかし、合議制が崩壊した民主制の政府は、アメリカの挑発に乗って大東亜戦争を宣戦布告してしまった。
 
以下が第二の失敗である。真珠湾奇襲攻撃は成功せり。されど占領せず。占領できていたので占領していれば、油は真珠湾のアメリカの油タンクに満載されていた。日本の外交暗号を解読できていて、大日本帝國がアメリカ合衆国に1941年12月7日に宣戦布告と同時に真珠湾に奇襲攻撃をかけると知っていたアメリカ合衆国大統領ルーズベルトは真珠湾から大切な空母だけ1隻残らず海に逃がしていた。燃料が切れるので真珠湾に戻らざるを得ないそれらアメリカの太平洋艦隊空母全艦も全て日本が発明した航空母艦主力戦術で撃滅できていた。そして真珠湾を占領し続け、米国西海岸を攻撃すると予告するのである。アメリカ合衆国初の本土攻撃である。アメリカは民主制だが南北戦争以降「統制民主主義」という「独裁制」で在り続けている(今も、だ。)。アメリカ政府はマスコミに命じて国家総動員体制をとらせていた。アメリカ合衆国こそ排除されるべき独裁制の帝国主義国家であって、ナチスドイツと日本は防衛戦争をしただけの普通の国家である。そんなアメリカも西海岸が戦艦大和・戦艦武蔵のアウトレンジ艦砲射撃で1トン砲弾をドッカンドッカン食えば国民は国家総動員体制から離脱しようとする。アメリカ合衆国民には合衆国憲法で定められた革命権がある。アメリカ合衆国独裁制崩壊の危機である。そこで、大日本帝國とアメリカ合衆国民が協力して、アメリカ合衆国政府を倒し、両王制・合議制のアメリカ帝国を創る。アメリカの州は州ではなく国だからである。
 
以下が第三の失敗である。大日本帝國は大東亞戰爭(大東亜戦争(だいとうあせんそう))に勝っていた。軍事的にも情報的にも。1941年から1944年中頃までは全戦全勝の快進撃だったのである。そこで停戦していれば、有利な講和条件で講和を結べた。
 
以下が第四の失敗である。陸軍暗号以外は、全てアメリカに解読されていた。陸軍省は海軍省と外務省に警告を発した。この警告は機能しなかった。陸軍省は海軍省の暗号電信から平文にして見せて、海軍省に暗号を買えるように要求した。この要求は機能しなかった。
 
以下が第五の失敗である。大東亜戦争において大活躍し、失敗のなかった陸軍省と帝國陸軍であるが唯一失敗したことがある。アメリカ合衆国陸海軍の暗号を学者に解析させるのが遅かったことである。1944年に東京帝國大学数学科整数論の学者を中心に整数論の数学者が集められアメリカ合衆国陸海軍の暗号を解かせ始めた。1945年8月15日終戦の詔勅の日までにはアメリカ合衆国陸海軍の誇る完全な孤立語で研究書籍が皆無のネイティブアメリカンナバホ族のナバホ語を暗号のベースにした暗号(米陸軍)までも一部解読できるようになっていた。もっと数学者の軍事利用が早ければ、アメリカの暗号を完全解読できていたのだ。これが大日本帝國陸軍唯一の失敗である。
 
 
また、合議制とは民主制のような不安定な政治システムではなく、各王国の王に優劣はなく合議によって政治が決定されるシステムのことである。補足だが、北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国もスメル人の支配していた期間1000年のメソポタミア文明も日本国も、内部に複数(5国以上)の王国を抱えており、王の中の王が支配する「帝国」である。皇帝を名乗っている支那各代王朝だが、科学的には、単一の王が独占支配する王国に過ぎない。そもそも「皇」という漢字は北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国の「スメラ」を意訳した不敬なる漢字である。支那人は歴史学で「皇」を使うな。不敬である。支那王朝が内部の王国であると主張してきた南越(ベトナム)も高麗(朝鮮)も、南越国と高麗国という「外部にあって支那と交易をする独立国家」であるので、支那王朝の自称「皇帝」は「王」に過ぎない。真実を書いたごときで、現代支那王朝「中華人民共和国」の王「中国共産党中央委員会総書記」は私を暗殺しないようにしてもらいたい。
 
第三義的に文字で記し誇り残す歴史が生まれた。これもスメル人がメソポタミアで行ったものである。スメル人は嘘は書かなかった。スメル人のメソポタミア文明での交易を担うのが世界最古の職業「売春婦」であるが、実態は交易の管理と「記録」を主とする巫女(みこ)である。彼女たちはたまに「売春」「も」するだけである。彼女たちの主たる役目は「交易の管理と記録」にこそある。つまり、彼女たち「交易の神聖巫女」「売春婦」が最初の歴史家である。「歴史を記すこと」も「文明の病」としてスメル人メソポタミアから世界中に感染した
 
 
副義的に「ゲルマン人」と「支那人」が「嘘を付くための文字による歴史」をコンプレックス解消手段として用いた。
 
北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国にゲルマン人のヨーロッパ地方(まさに地方!)も支那人の支那地方(まさに地方!)も支配され続け、ゲルマン人も支那人も辺境でほそぼそと生き延びてきたのが実態だからである。
 
北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国にゲルマン人はヨーロッパ半島という辺境で逃げ場のない場所に押し込められてゲルマン人まるごと気が狂った。また、ローマ帝国とゲルマン人が振興信仰していた「ミトラ教」と「異端宗派を唯一の正統宗派と定義づけた」キリスト教の二重性、そしてこの押しこまれて圧縮されきった狂気のかたまりが近代を生み出すドライブとなった。近代は日本とヨーロッパで同時に発生した。世界の他のどこでも発生しなかった。さて、ゲルマン人は良くて口語ラテン語方言か悪いとバルバル語を話していただけで、文字を持たなかった。そこで東方のメソポタミア地方のアラビア学者たちに来ていただきラテン語の書籍とその読み方、アラビア語の書籍とその読み方を習ったが、のちに歴史書という嘘でその痕跡を消した。また、どんどん東方(アラビア)から書籍を輸入しては教会や修道院で解読作業を進めたが、その痕跡を歴史書で完全に消した。キリスト教の自体ミトラ教の丸パクリであるが、キリスト教はミトラ教をミトラ教と呼ばず、ミトラ教の神々にまがまがしい名前をつけて悪魔たちとした。キリスト教がおそれるルシファーとはミトラ教の最高神太陽神ミトラに過ぎない。
 
支那人は東方を東海(東シナ海)南方を南海(南シナ海)とチベット高原に、西方をチベット高原と砂漠に封じ込まれた状態で、北方から北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国の強大な軍事圧力を受け続けて気が狂った民族が漢民族・支那人である。
 
現代の歴史学はこの「嘘の文字歴史」によって支配されている。身体文化の継承という本義の歴史はどこへ消えたのか!!!)
 
 
=== 日本古流武術史 ===