「王立ハノーファー邦有鉄道」の版間の差分

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=== ハノーファー西鉄道 ===
{{仮リンク|[[レーネ<!-- リダイレクト先の「レネ」は、de版とリンク無し -->|de|Löhne}}]]から[[オスナブリュック]]でケルン-ミンデン鉄道に接続し[[エムデン]]まで結ぶ、プロイセンとの合同での鉄道の計画は、路線の経路と[[オランダ]]の鉄道への接続をめぐる長い議論が終わるまで、実現することはなかった。
 
最終的に合意されたのは現在の路線で、レーネからオスナブリュックを通りプロイセンの{{仮リンク|ライネ|de|Rheine}}へ向かい、{{仮リンク|王立ヴェストファーレン鉄道|de|Königlich-Westfälische Eisenbahn-Gesellschaft}}と[[ミュンスター]]で接続するとともに、ここから{{仮リンク|ザルツベルゲン|de|Salzbergen}}を経由してレーアおよびエムデンへ通じることになった。
 
オランダの鉄道網への接続は、ハノーファー領のザルツベルゲンから{{仮リンク|ベントハイム|de|Landkreis Grafschaft Bentheim}}を経由して{{仮リンク|[[オルデンザール|nl|Oldenzaal}}]]と到ることで実現された。1854年11月24日に最初の区間、エムデン - {{仮リンク|パーペンブルク|de|Papenburg}}が開通した。
 
* 1855年11月21日: レーネ - オスナブリュック間開通