「マーサ・ジェファーソン」の版間の差分

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== 複雑な家庭環境 ==
[[1748年]][[10月30日]]に[[13植民地|イギリス領北米植民地]]の[[バージニア植民地|バージニア王室領植民地]][[チャールズシティ (バージニア州)|チャールズシティ]]にて裕福な[[弁護士]]兼[[プランテーション|農園]]主であるジョン・ウェイルズの娘として生まれた。彼の最初の夫人マーサ・エップスはマーサを産んだわずか6日後に死亡した<ref name="Ladies">{{Cite web|url=http://www.firstladies.org/biographies/firstladies.aspx?biography=3|title=First Lady Biography: Martha Jefferson|publisher=National First Ladies' Library|language=英語|accessdate=2014年4月12日}}</ref>。
 
父のウェイルズは3度の結婚の後に[[奴隷]]として所有していた{{仮リンク|ベティ・ヘミングス|en|Betty Hemings|label=ベティ・ヘミングス}}を[[妾]]とし、彼女との間に6人の子供をもうけた。[[1773年]]にウェイルズが死亡したために、マーサと彼女の夫の[[トーマス・ジェファーソン|トマス・ジェファーソン]]がベティと彼女の子供達の所有を継承することになった<ref name="Ladies" />。
*'''ルーシー・エリザベス・ジェファーソン'''(1782-1785) - 上の姉と同名。
 
[[アメリカ独立宣言]]を起草するために[[フィラデルフィア]]で開催された{{仮リンク|第二次大陸会議|en|Second Continental Congress|label=第二次大陸会議}}に出席していたジェファーソンはマーサの健康状態の悪化を心配し、少しでも早く夫人のところへ戻ろうとした。出世を望まず、政治活動も控えるようになっていった<ref name="Legacy" />。
 
マーサは[[1782年]]5月に末娘のルーシーを産んだが、出産後の肥立ちが悪く、同年[[9月6日]]に亡くなった。33歳没。死の床にあった夫人の前でジェファーソンは「再婚は絶対にしない」と約束したと言われている<ref name="レディ71">{{Cite book|author=宇佐美滋|title=ファーストレディ物語|publisher=文藝春秋|page=71}}</ref>。
 
ジェファーソンは非常に几帳面な性格で、自分が書いた手紙1万8千通のコピー、受け取った手紙2万5千通を残したが、なぜか夫人との手紙はすべて処分してしまった。そのために二人のプライバシーは謎に包まれてしまったが、死の床での夫のやり取りについては知られている。死の床でマーサは夫が愛読した[[ローレンス・スターン]]の小説『[[トリストラム・シャンディ]]』の一節を書き写した。「時はあまりに早く移ろい、我がたどる文字はみな人生のいかに速やかに我がペンを追うかを告げる。その日時は強風の日の雲の如く、我らが頭上を吹き去りて二度と戻らず」その後をジェファーソンが引き取って書いた。「汝の手にする惜別の接吻、その後の別れは、すべてこれ来るべき永遠の別れの[[前奏曲|プレリュード]]」。ジェファーソンはマーサの一束の髪とこのノートを封筒に入れて保管した<ref name="レディ71" />。
 
ジェファーソンは葬式の後、3週間は自分の部屋の中にこもり、その後も農園の周辺を行く先を決めずに馬に乗ってさまよっていた<ref name="Legacy" />。マーサが亡くなってから8週間が経過すると、彼女の健康状態が悪化してからは控えていた政治の世界に戻り、再び精力的に活動するようになった<ref name="レディ71" />。