「ポール・ストッダート」の版間の差分

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ストッダートが指揮するようになって後も、チームは慢性的なスポンサー不足を解消するには到らず、後方集団に埋もれて各シーズンを送ることとなる。
 
2002年末、ストッダートはヨーロピアン航空を売却し、オランダの浴槽・トイレ製品製造企業であるウィラックス(Wilux)を新たにタイトルスポンサーに迎えた。しかし、2003年の[[イギリスグランプリ|イギリスGP]]直前に同チームで長年にわたってスポーティング・ディレクターを務めていたジョン・ウォルトンが心臓病により亡くなり、それに弔意を示すべく同GPにおいて全てのスポンサーロゴを事前の通知もせずに外してしまったことで、ウィラックスの逆鱗に触れ、支援が打ち切られるという自体事態に陥ってしまった。これにより、再びチームは窮状に陥り、オーナーであるストッダート自身が自身のF1カーコレクションを売却するなどの方法すら用いつつ、ミナルディは厳しい財政事情の下で数シーズンを送り、[[2005年]][[9月12日]]、ストッダートはチームを[[オーストリア]]の飲料会社[[レッドブル]]のオーナーである[[ディートリッヒ・マテシッツ]]に売却すると発表し、F1の世界から去った。
 
=== 評価 ===