「ロイヤル・オーク」の版間の差分
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{{otheruses|イギリス史に登場する樹木|}}
[[ファイル:Royal Oak, Boscobel.jpg|right|thumb|250px|upright|
[[ファイル:Boscobel - Royal Oak 2011.jpg|thumb|250px|枝の多くを失った「ロイヤル・オークの息子」([[2011年]]撮影)。現在は観光客の安全のために木製の柵が拡張されている]]
'''ロイヤル・オーク'''({{Lang-en|'''Royal Oak'''}})は[[清教徒革命]]中の[[1651年]]、当時の[[イングランド王国|イングランド]]・[[スコットランド王国|スコットランド]]皇太子チャールズ(後のイングランド・スコットランド王[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]])が[[円頂党|議会派]]の軍との戦いに敗れた後、彼らから逃亡する際に隠れた[[オーク]]([[ヨーロッパナラ|イングリッシュオーク]])の木に与えられた名前。
[[1660年]]の[[王政復古#イギリス|王政復古]]後、この木の逸話は大変有名となり、王権を象徴する獅子と一角獣に支えられたオークの木から王が顔をのぞかせている図柄の陶器などが多く作られた。また、イギリス国内はもとより、アイルランド、カナダ、アメリカ合衆国、ニュージーランドなどに「ロイヤル・オーク」という地名が存在する。[[イギリス海軍]]には歴代8隻の軍艦に「ロイヤル・オーク」という名前が付けられている。
== 歴史 ==
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== 現在のロイヤル・オーク ==
ボスコベル館に現在存在する樹齢200~300年のオークの木は当時の「ロイヤル・オーク」ではなく、その子孫と考えられていて「ロイヤルオークの息子
この「ロイヤル・オークの息子」は[[2000年]]の嵐で多くの枝を失い、大きなダメージを受けた。[[2010年]]には幹に大きな亀裂が入っているのが見つかった
== 外部リンク ==
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