「セシル・フィルダー」の版間の差分

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当時のタイガースの監督であった[[スパーキー・アンダーソン]]は、同じく日本からの出戻り組の[[ビル・ガリクソン]]がチームに在籍して活躍していたこともあって、「日本製品は素晴らしい!!」と形容したこともあった。また、タイガースの本拠地がある[[デトロイト]]では、地元の新聞に「デトロイトが受け入れた唯一の日本製品」と称されたこともあった(当時日本とは貿易摩擦が問題となっており、デトロイトの主要産業である車が日本からの輸入車で苦戦を強いられていたため、特にデトロイトでは日本に対する反感が強かった)。
 
日本帰りであったことから、その肥満体型を揶揄して[[力士|スモーレスラー]]などと呼ばれることもあった。不振が続いた時のブーイングでは、必ずこの名称で呼ばれていた。阪神からメジャーに復帰した際にも、「なぜあのような肥満をとった?」とチーム関係者及びファンからの非難があったが、本塁打を量産することによりそれらの声を打ち消した。その肥満体型故にメジャーリーグでも屈指の鈍足として知られ、1996年に初めて盗塁を成功させた翌日には新聞の一面を飾ったほどである。この初盗塁を決めるまでに1096試合も要しているが、これは盗塁を記録しなかったメジャー最多連続試合数である。また、この年はもう一つ盗塁を成功させているが、フィルダーが盗塁を成功させたのは後にも先のもこのシーズンだけである。
 
{{by|1992年}}には、[[ロブ・ディアー]](後に阪神でプレー)および[[ミッキー・テトルトン]]と30発トリオを結成したが、それは同時に130三振トリオでもあり、打率が低く、三振が多く、しかも投手力が弱かったため、チームの成績は振るわなかった。