「マックボンボン」の版間の差分

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1972年10月には早くも初のレギュラーにして初司会、そしてコンビ名の付いた「冠番組」である『[[ぎんぎら!ボンボン!]]』(『[[シャボン玉ホリデー]]』の後番組で、後に『[[シャボン玉ボンボン]]』にリニューアルされる)への出演が決まる。師匠の[[いかりや長介]]は、ネタのストックも無いままテレビに出演することに難色を示し反対する。その心配は的中し、知名度の低さとワンパターンなネタがすぐに飽きられ、視聴率不振により番組は1[[クール (放送)|クール]](3か月)で打ち切りとなった。その失敗により、ショックを受けた当時の相方である井山が失踪。このため志村は、ドリフの付き人の一人である福田正夫を次の相方として選び、新生マックボンボンを再出発させる。
 
しかし、福田は元・[[自衛隊]]上がり員の福田は元々「お笑い志向」はなく、常々「お笑いじゃなくてもやっていける」と思っており、公言し練習に熱が身をらずれる事も無く、コンビは自然消滅となった。その後、志村は再びドリフの付き人に戻った(その後の志村の経歴については[[志村けん]]を参照)。
 
== メンバー ==