「マット・バスビー」の版間の差分

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|背番号=
|利き足=
|年1=1928-1936|クラブ1={{flagicon|ENG}} [[マンチェスター・シティFC]]|出場1=|得点1=
|年2=1936-1939|クラブ2={{flagicon|ENG}} [[リヴァプールFC]]|出場2=125|得点2=3
|代表国={{SCOf}}
|代表年=1933
|代表出場(得点)=1 (0)
|監督年1=1946-1969|監督チーム1={{flagicon|ENG}} [[マンチェスター・ユナイテッド]]
|監督年2=1970-1971|監督チーム2={{flagicon|ENG}} マンチェスター・ユナイテッド
}}
 
'''サー・アレクサンダー・マシュー・バスビー [[大英帝国勲章|CBE]]''' (Sir Alexander Matthew Busby, [[1909年]][[5月26日]] - [[1994年]][[1月20日]])、通称 '''マット・バスビー''' ('''Matt Busby''') は、[[イギリス]]・[[スコットランド]]出身の元[[サッカー選手]]、元[[監督|指導者]]。
 
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== 備考 ==
* バスビーは[[1958年]]1月から、ユナイテッド監督と兼務する形で[[サッカースコットランド代表|スコットランド代表]]監督に就任していた。同年開催の[[1958 FIFAワールドカップ]]を見据えての人事であったが、2月に前述のミュンヘンでの事故によって指導することが出来なくなり、代わって[[ドーソン・ウォーカー]]が監督代行として本選で指揮を執った。ちなみにこのわずか1ヶ月の在任期間にバスビーは2試合の指揮を執ったが、この中でのちにユナイテッドの中心選手となる[[デニス・ロー]]に代表初キャップの機会を与えている。
* マンチェスター・ユナイテッドの愛称として有名な "The Red Devils" ([[赤い悪魔]])は、バスビーによって名付けられた。[[1960年代]]初頭、[[マンチェスター]]近傍の[[ラグビー]]クラブ、Salford Rugby Club (現[[:en:Salford City Reds|Salford City Reds]])の愛称だった "The Red Devils" の響きをバスビー自身が気に入り、採用したものだという。
* シーズンを通して活躍したユナイテッドの選手の中から、ファン投票で選ばれた選手に贈られる "The Sir Matt Busby Player of the Year Award" という賞がある。過去には[[エリック・カントナ]]や[[デビッド・ベッカム]]、[[ロイ・キーン]]、[[ルート・ファン・ニステルローイ]]、[[ガブリエル・エインセ]]らが受賞している。
* [[ビートルズ]]の楽曲、『[[ディグ・イット]] (Dig It) 』の曲中にバスビーの名が登場する。
* 選手時代、[[国勢調査]]にて調査員に職業を尋ねられたバスビーは "footballer" と答えたが、調査員は "fruit boiler" と聞き違えそのまま記載されたことがある。
 
== 所属クラブ ==
;選手として
* 1928 - 1936 : {{flagicon|ENG}} [[マンチェスター・シティFC]]
* 1936 - 1939 : {{flagicon|ENG}} [[リヴァプールFC]] 125試合出場 3得点
 
;監督として
* 1946 - 1969, 1970 - 1971 : {{flagicon|ENG}} [[マンチェスター・ユナイテッドFC]]
 
== 獲得タイトル ==
;選手として
* マンチェスター・シティFC
** [[FAカップ]] 1回 (1934)
 
;監督として
* リーグチャンピオンシップ 5回 (1952, 1956, 1957, 1965, 1967)
* FAカップ 2回 (1948, 1963)
* [[UEFAチャンピオンズリーグ|UEFAチャンピオンズカップ]] 1回 (1968)
* [[コミュニティーシールド|チャリティシールド]] 5回 (1952, 1956, 1957, 1965, 1967)
 
;その他
* [[イングランドサッカー殿堂]] (2002)
 
== 外部リンク ==