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'''トマス・マロリー'''('''Sir Thomas Malory''', [[1399年]] - [[1471年]][[3月14日]])は、[[イングランド人]]で、『[[アーサー王の死]]』の著者・編者。
 
古物収集家[[:en:John Leland{{仮リンク|ジョン・リーランド]]|en|John Leland}}はマロリーを[[ウェールズ]]人だと考えたが、最近の学説では[[ウォリックシャー州]]ニューボールド・レヴェル出身と考えられている。
姓のマロリーは Malory のほか、Maillorie、Mallory、Mallery、Malerore などの表記が見られる。この名前の語源は[[古フランス語]]の[[形容詞]] maleure([[ラテン語]] male auguratus からきている)で、「前触れなく」または「不幸な」という意味。
 
マロリーの生涯に関して確実とされるものは少ない。おそらく[[1405年]]前後に生まれたとされているが、もっと前に生まれていたとする学者もいる。名作『アーサー王の死』の完成から2年もたたない1471年3月に、彼は死んだ。イングランド議会の議員に2度選出された。1450年代には、強盗、強姦、羊泥棒、[[ハンフリー・スタフォード (初代バッキンガム公)|バッキンガム公]]暗殺未遂などの罪を犯した。2回脱獄している(片方は武器を用いての強行突破、もう片方は堀を泳いでの逃走)。ロンドン内の複数の刑務所に投獄されたが、保釈で出獄中の収監になったこともある。自身に対する賠償請求訴訟に姿を見せたことがない。
 
1460年代に一度だけ、王([[ヘンリー6世 (イングランド王)|ヘンリー6世]])の恩赦を受けたが、ヘンリー6世の別の恩赦や[[エドワード4世 (イングランド王)|エドワード4世]]の恩赦では、明示的に除外されていた。
このことは、作品の一部を獄中で書いたとマロリー自身が節末に記していることからも明らかである。
 
[[:en:William Oldys{{仮リンク|ウィリアム・オールディス]]|en|William Oldys}}は、『アーサー王の死』の奥付におけるマロリー自身に関する記述から、マロリーが[[司祭]]だったかも知れないと考えた。<ref>Oldys, William: article on William Caxton, ''Biographia Britannica'', 1747-66</ref>
 
:私はあなた方、このアーサー王と騎士たちを描いた本をお読みいただいたすべての紳士淑女のために祈りを捧げます。あなた方も、私が生きている間、神が私をお救い下さるようお祈り下さい。私が死んだら、どうか皆様、私の魂のためお祈り下さい。この本は、[[エドワード4世 (イングランド王)|エドワード4世]]陛下の治世9年目に、[[イエス・キリスト|イエス]]の恩寵に基づき、騎士トマス・マロリー卿によって書かれました。彼は昼夜問わずイエスのしもべであります。