「パリミュチュエル方式」の版間の差分

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[[投票券 (公営競技)|投票券]]の総売り上げをプールし、興行主はそこから一定割合を差し引き、残りの金額を勝ち[[投票券 (公営競技)|投票券]]に配分する方法<ref name="tachikawa2008 281">[[#立川2008|立川2008]]、281頁</ref>
==概要==
パリミュチュエル方式では、まず販売所において自分の予想となる券を購入。この時点において配当はまだ確定していない。そして購入額を全てプールする。その後、レースや抽選を行い当選の番号と当選者が確定する。この時点でプールした金額から、運営費など主催者収入として所定経費を引いた差額割合差引き金額は[[控除率]])が差し引かれて運営費などの経費よる)充てられ、残りを当選者で分配する。
 
売り上げの額に比例して主催者収入が大きくなる仕組みであり(比率は予想方式などにより異なる場合もある)、主催者収入がマイナスになることはないものの、日本の[[地方競馬]]で多く見られるように十分な収入を得られていない事例も見受けられる。
この方式の場合、販売主は必ず儲かる仕組みとなっている(プールした金額、つまり売上が多い程、販売主がより潤う仕組みである)。ただし、競技の運営経費は販売主が負担するので最終的に黒字になるとは限らず多現代の日本の多くの地方競馬は赤字経営である。
 
この方式を作り出したのは[[フランス]]の[[ジョセフ・オレール]]で[[1867年]]に考案され、[[1891年]]にはフランスで公式に法制化された。のちに投票や集計が機械化されたことにより[[トータリゼータシステム]]へと発展していく。
 
==日本での採用==
日本では1888年(明治21年)横浜[[外国人居留地]]内の[[日本レース・倶楽部|ニッポン・レース・クラブ]]でパリミュチュエル方式の馬券が発売されている。ただし当時の日本では馬券は非合法であり、馬券が発売されたのは横浜[[外国人居留地]]という特殊事情下であり、一般の日本人向けに馬券発売が黙許されるのは1906年(明治39年)である。現代の日本の公営ギャンブルではどの団体・競技でもパリミュチュエル方式を採用している<ref name="tachikawa2008 281"/>。