「標準時」の版間の差分

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この会議では[[サンドフォード・フレミング]]卿が時刻帯の仕組みを提案したが、本初子午線を決定するという会議の目的から外れるという理由で採用は見送られた。しかし、結局[[1929年]]までには主要な国のほとんどで時刻帯が採用されることとなった。
 
また、[[1918年]]には、当時は大洋を航行する艦船においては([[経度]]測定用の[[クロノメーター]]とは別に)日常使用する時刻を毎日[[正午]]に船の位置する(と考えられる)子午線の地方時に合わせていたが、イギリスの通商部においてこの慣習を改めて海上においても、陸上において当時の多くの国が採用している標準時と同様な時刻系を採用することの可否について関係者の詳細な意見を集めた<ref>{{Cite journal|和書|date=1918-11 |year=1918 |editor=[[日本天文学会]] |title=雑報 海上にて万国共通標準時採用の議 |journal=天文月報 |volume=11 |issue=8 |page=131 |publisher=日本天文学会 |location=[[東京市]] |issn=0374-2466 |id={{NCID|AN00154555}}、{{NDLJP|3303979}} |url= http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1918/pdf/191811.pdf |format=PDF |accessdate=2014-01-12}}</ref>。
 
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