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'''大橋 健三郎'''(おおはし けんざぶろう、[[1919年]][[12月18日]] -[[2014年]][[4月22日]] )は、日本のアメリカ文学者。
 
[[京都市]]中京の呉服卸商の家に生まれる。1937年、京都市立第一商業学校を卒業し、[[東京外国語学校]]英語科入学、1941年、[[東北帝国大学]]英文科に入学、[[土居光知]]に師事し、[[阿部次郎]]、[[小宮豊隆]]の教えを受けて[[夏目漱石]]に傾倒するが、戦争のため二年で繰上げ卒業、海軍予備学生、予備士官として各地を転々とする。戦後、仙台工業専門学校教授、1948年、横浜市立経済専門学校教授、また[[横浜市立大学]]助教授、1950年、カリオア留学生として渡米(Tulane大学)、1955年、[[東京外国語大学]]に勤務、1962年、[[東京大学]]文学部英文科教授、1980年、定年後鶴見大学教授。1991年、退職<ref>以上『わが文学放浪は今』南雲堂(2006)巻末「著者について」。</ref>。[[ウィリアム・フォークナー|フォークナー]]をはじめとする[[アメリカ文学]]の研究と著作、および翻訳で知られる。日本アメリカ文学会、日本ウィリアム・フォークナー協会の創設を主導し、長年、日本のアメリカ文学研究の泰斗として指導的役割を果たした。アカデミズムの枠組みを超えて文学そのものを語る文人気質の学者で、弟子筋に[[國重純二]]、[[筒井正明]]、[[荒このみ]]、[[平石貴樹]]、[[佐藤良明]]、[[柴田元幸]]らがいる。
 
==主要著作==
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*世界文学全集 ホーソーン [[緋文字]]他 [[小津次郎]]共訳 集英社、1970
*響きと怒り フォークナー 新潮世界文学、新潮社、1971
*行け、モーセ(フォークナー全集)冨山房、1973<ref>以上『文学とアメリカ I:大橋健三郎先生還暦記念論文集』南雲堂 281-284頁。</ref>
 
(以上出典『文学とアメリカ I:大橋健三郎先生還暦記念論文集』南雲堂、1980、および『わが文学放浪の記』)
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
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