「ゲルショム・ショーレム」の版間の差分

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彼は[[ベルリン]]でユダヤ人の家庭に生まれ育った。父はアルトゥール・ショーレム、母はベティ・ヒルシュ・ショーレム。[[画家]]だった父は同化主義者で、息子が[[ユダヤ教]]に興味を持つのを喜ばなかったが、ショーレムは母のとりなしにより正統派の[[ラビ]]のもとで[[ヘブライ語]]や[[タルムード]]を学ぶことを許された。
 
[[フンボルト大学ベルリン|ベルリン大学]]で[[数学]]と[[哲学]]と[[ヘブライ語]]を専攻。大学では、[[マルティーン・ブーバー]]や[[ヴァルター・ベンヤミン]]、[[シュムエル・ヨセフ・アグノン]]、[[ハイム・ナフマン・ビアーリク]]、[[アハッド・ハーアム]]、[[ザルマン・シャザール]]といった面々と知り合った。[[1918年]]にはベンヤミンと共に[[スイス]]の[[ベルン]]にいたが、ここで最初の妻エルザ・ブルクハルトを識った。[[1919年]]にドイツへ戻り、[[ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン|ミュンヘン大学]]から[[セム語]]研究で学位を受けた。
 
[[博士論文]]のテーマは、最古のカバラ文献סֵפֶר הַבָּהִיר(セフェル・ハ=バヒール; "[[光輝の書]]")だった。[[シオニズム]]に傾倒し、友人ブーバーの影響もあって、[[1923年]]に英領[[パレスチナ]]へ移住。ここで彼はユダヤ神秘主義の研究に没頭し、[[司書]]の職を得た。最終的にはイスラエル国会図書館のヘブライ・ユダヤ文献部門の責任者となった。のちに[[エルサレム]]の[[ヘブライ大学]]で、講師として教え始めた。