「林正之助」の版間の差分

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1968年1月11日、当時の[[山口組]]組長・[[田岡一雄]]と組んでレコード会社を乗っ取ろうとした容疑で兵庫県警に逮捕されている。
 
1991年4月24日に[[大阪厚生年金病院]]で[[心不全]]で死去、享年92。日本の芸能プロモーターとしては当時最も高齢であり、その長寿をまっとうした。死去する3ヶ月前まで劇場運営等などを指揮をした。密葬が[[千里会館]]で社葬は自身が愛した[[なんばグランド花月]](NGK)で行われた、墓所は[[豊中市]]の[[服部霊園]]にある。
 
===芸能プロモーターとしての評価===
* 昭和34年、過労で肺炎になり入院中の[[大村崑]]を当時高価なメロンを持って見舞いに行った。その際、吉本興業との契約の話を申し出たが「これからは仕事をセーブせな又、倒れるから」と大村が断ると「メロンを持って行って断られたのはあんたが始めてや」と言われている。諦めきれず(うめだ花月劇場の開館当初の客寄せの為)[[花登筺]]を通じて契約。しかしギャラ問題で契約は短期に終わる。その後、吉本と疎遠になっていた大村だが(会長の)晩年に「崑ちゃん、あの時は悪い事したなー」と話す会長と抱き合って再会している。
* [[横山やすし]]を可愛がり、やすしがトラブルを起こした時もかばい続けた。しかしやすしが吉本との契約解消に至った時は、「反省の色が無い。これ以上面倒見切れんし、世間も許さんでしょう」とコメントした。また仁鶴に対しては「さん」付けで呼んでいた。
* [[ダウンタウン (お笑いコンビ)|ダウンタウン]]が東京進出する前に[[なんばグランド花月]]で漫才を公演した時、[[浜田雅功]]が冗談で「会長の杖は殴るために持っている」と言った後に、公演後に「人を殴る為に持ってへんぞ」と突っ込みを入れた。
* なんばグランド花月の完成から亡くなる3ヶ月前まで、毎日行われる興行を視察した。
* 当時の部下だった[[木村政雄]]が劇場の興行システムを10日ごとから7日ごとに変更することを直訴したところ一発返事で承認した。
* レコード会社乗っ取り未遂を起こした際には相手方の会社に乗り込んで、「わしが田岡親分に電話一本連絡すれば、山口組の300人の兵隊が来て血の雨を降らすぞ」と息巻いた。
* 晩年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]から吉本へ移籍してきたばかりの[[横澤彪]]に向かって「こんなん(新入社員)が(会社に)入ってきたら日本はつぶれまっせ」と落胆した。これは横澤によると、バブル景気が盛んな時期に男が女の便利な遊び道具にされ、結果使い捨てられるところを偶然見ていたからとの事で、これを見た林は悔しくてたまらなかったとのこと。
* 身だしなみやファッションを大事にし10代のころから当時では珍しくモダンのスーツやピシッと決めたヘアースタイルであった、また愛用の帽子は[[ボルサリーノ]]であった、またプロモーターでは珍しくポートレート(プロマイド)を作り関係者に配っていた。戦後は気に入った芸人や頑張ってる芸人はネクタイを配るのが恒例であった。
 
== 関係項目・人物 ==
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