「長瀬サエコ」の版間の差分

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「肩甲骨スクワット」の第一人者としても知られ、「血液型ダイエット」の提唱者でもある。
 
== 来歴 ==
 
もともとは身体が弱く小さい頃から病気を繰り返すほど病弱な子供だったという。
音楽活動を始めたころ、長瀬サエコの当時のマネージャーが、長瀬が尾崎豊の[[oh my little girl]]の歌声を聴き、たぐいまれな表現力を見出し生前の尾崎豊のプロデューサーであった[[須藤晃]]氏に映像付きのデモテープを送ったという。その際に「尾崎君にそっくりだ」ということをきっかけに尾崎豊の初のカバーアルバムを発売することになったというエピソードがある。
また同アルバムには当時の尾崎豊のバンドメンバー、アレンジャー担当の[[西本明]]氏や[[町支寛二]]氏などが全面アレンジャーを担当し、珠玉のアルバムになったという。
メジャーデビュー前には長瀬の表現力の豊かさに異例の出演が決まり、結果的には2年連続出場するという異名も持つ。初回のライブは尾崎の代表曲[[15の夜]]の補作詞として「最後の夜」というタイトルで作詞、歌い上げる途中で感きまわり涙を流しながらも最後まで歌い上げたというエピソードもある。
 
==出版物==