「ジャン=フランソワ・ミレー」の版間の差分

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| training =
| movement = [[バルビゾン派]]
| works = 「[[落穂拾い (絵画)|落穂拾い]]」、「[[種まく人 (ミレー)|種まく人]]」、「晩鐘」
| patrons =
| influenced by =
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}}
[[ファイル:Jean-François Millet (II) 001.jpg|thumb|right|200px|晩鐘(''L'Angélus'') 1857年 - 1859年 [[オルセー美術館]]]]
[[ファイル:Jean-François Millet (II) 002.jpg|thumb|right|200px|[[落穂拾い (絵画)|落穂拾い]](''Des glaneuses'') 1857年 オルセー美術館]]
[[ファイル:Jean-François Millet (II) 007.jpg|thumb|right|200px|[[羊飼いの少女]](''Bergère avec son troupeau'') 1864年 オルセー美術館]]
'''ジャン=フランソワ・ミレー'''({{Lang|fr|Jean-François Millet}}<ref name=FORVO>[http://ja.forvo.com/word/jean-fran%C3%A7ois_millet#fr "FORVO"での発音例]</ref>、[[1814年]][[10月4日]] - [[1875年]][[1月20日]])は、[[19世紀]]の[[フランス]]の[[画家]]。
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バルビゾン派の中でも、大地とともに生きる農民の姿を、崇高な宗教的感情を込めて描いたミレーの作品は、早くから日本に紹介され、農業国日本では特に親しまれた。ミレーの代表作のひとつである『種まく人』が[[岩波書店]]のシンボルマークとして採用されたのは1933年(昭和8年)のことであった。[[1977年]](昭和52年)、その『種まく人』が[[サザビーズ]]のオークションで競り落とされ、日本に請来された時は大いに話題になった。
 
[[1814年]]、[[ノルマンディー]]地方[[マンシュ県]]の海辺にあるグリュシーという小さな村に生まれた。8人兄弟の長男で、父は農民であり村の教会の合唱指揮者でもあった。[[大原美術館]]にあるパステル画『グレヴィルの断崖』は、晩年の[[1871年]]頃の制作ではあるが、故郷の海岸の風景を描いたものである。19歳の時、グリュシーから十数km離れた[[シェルブール=オクトヴィル|シェルブール]]の街で絵の修業を始め、22歳の[[1837年]]にパリへ出て、当時のアカデミスムの巨匠であったポール・ドラローシュ(1797年 - 1856年)に師事する。デッサンや模写のほか、聖書や神話など画題となる古典文学にも学ぶ。26歳の時、肖像画がサロン(官展)に初入選する。奨学金が停止されていたため生活は貧しく、肖像画や裸体画を描いていた。この頃の画風はマニエル・フルーリ(華やかな手法)と評されており、繊細で柔らかなタッチと明るい色彩が特徴で、神話画などを多く手がけている。
 
[[1841年]]、シェルブールで[[仕立屋]]の娘ポーリーヌ=ヴィルジニー・オノと結婚し、パリに住むが、彼女は3年後の[[1844年]]に[[結核#肺結核|肺結核]]により病死する。[[1846年]]には同棲中だったカトリーヌ・ルメートルという小間使いの女性との間に第1子が誕生する。このカトリーヌと正式に結婚するのはかなり後の[[1853年]]のことであるが、それ以前の[[1849年]]、パリにおける[[コレラ]]流行を避けて、ミレーはバルビゾンへ移住し、以後同地で制作を続けた。この頃には共和国政府からの依頼もあり、経済的にも安定する。農民画に専念し、『種まく人』をサロンへ出品するのは翌[[1850年]]のことである。ミレーの代表作に数えられる『晩鐘』『[[落穂拾い (絵画)|落穂拾い]]』などの代表的農民画は、バルビゾン移住後の作品である。
 
また、ミレーは19世紀に広まった月暦画以来の伝統を持つ「四季」の主題の連作にも取り組み、[[ウジェーヌ・ドラクロワ|ドラクロワ]]やその弟子アンドリウとも交流している。
 
== 2つの『種まく人』 ==
[[ファイル:Jean-François Millet (II) 013.jpg|thumb|right|200px|[[種まく人 (ミレー)|種まく人]](''Le semeur'') 1850年 ボストン美術館]]
ミレーの代表作のひとつである『種まく人』は、晩夏に[[麦]]の種をまく農民にミレーがインスピレーションを受け、「[[ヨハネによる福音書|ヨハネ伝]]」12章24節でキリストが自分を「麦(信仰)の種」、神を信仰という「種」をまく人に喩えた話を絵画化したものである{{要出典|date=2011年11月}}。
 
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== 代表作 ==
{{commonscat|Jean-François Millet (II)}}
*[[落穂拾い (絵画)|落穂拾い]] (''Les Glaneuses'' 1857年 [[オルセー美術館]])
*種まく人 (''Le semeur'' 1850年 ボストン美術館、山梨県立美術館)
*晩鐘 (''L'Angélus'' 1857年 - 1859年 オルセー美術館)