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{{スペインによるアメリカ大陸の植民地化}}
'''エルナン・コルテス'''('''{{lang|es|Hernán Cortés'''}}, [[1485年]]-[[1547年]][[12月2日]])は、[[スペイン]]の[[コンキスタドール]]。初代バジェ・デ・オアハカ侯爵。[[メキシコ高原]]にあった[[アステカ帝国]]を征服した。
 
[[1992年]]から[[2002年]]の[[ユーロ]]導入までスペインで発行されていた最後の1,000[[ペセタ]]紙幣の表面に肖像が使用されていた<ref>裏面は[[フランシスコ・ピサロ]]</ref>
'''エルナン・コルテス'''('''Hernán Cortés''', [[1485年]]-[[1547年]][[12月2日]])は、[[スペイン]]の[[コンキスタドール]]。初代バジェ・デ・オアハカ侯爵。[[メキシコ高原]]にあった[[アステカ帝国]]を征服した。
 
[[1992年]]から[[2002年]]の[[ユーロ]]導入までスペインで発行されていた最後の1,000[[ペセタ]]紙幣の表面に肖像が使用されていた(裏面は[[フランシスコ・ピサロ]])。
 
== 生涯 ==
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=== アステカ征服 ===
[[Image:Ruta de Cortés.svg|thumb|400px460px|left|コルテスの征服路]]
時が経ち、コルテスと統治者ベラスケスとの関係は、緊張状態となっていた。
[[1519年]]、コルテスはキューバ総督[[ディエゴ・ベラスケス・デ・クエリャル|ディエゴ・ベラスケス]]の命令に違反して500人の兵、馬16頭、帆船11隻を率いて[[メキシコ湾]]岸沿いに進み、ユカタン半島で8年前にこの地に漂着していたコンキスタドーレス、[[ヘロニモ・デ・アギラール]]と、パイナラの族長の娘[[マリンチェ]]と出会い、彼ら二人を通訳兼案内人として先へ進んだ。同年8月、メキシコ湾岸に[[ベラクルス]]市を建設する<ref>「世界探検全史 下巻 道の発見者たち」p61 フェリペ・フェルナンデス-アルメスト著 関口篤訳 青土社 2009年10月15日第1刷発行</ref>と、内陸へと進んでいった。メキシコ高原に到達すると、[[アステカ]]の宿敵である[[トラスカラ王国|トラスカラ]]人と戦い和睦して同盟を結び、さらにテスココなど各地の勢力と同盟を結んだ上でアステカへと向かった<ref>「図説 ラルース世界史人物百科Ⅱ ルネサンス - 啓蒙時代」p76 - 77 2004年10月25日第1刷 フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ編 樺山紘一日本語版監修 原書房</ref>。当時、過酷な税制によってアステカ支配下の諸民族は不満を強めており、これがコルテスらの軍と同盟を結ばせる動機となった。結果、スペインと諸民族の混成軍は膨大な数に上った。<ref>「物語メキシコの歴史」p33 [[中央公論新社]] 大垣貴志郎 2008年2月25日発行 </ref>
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弱腰を[[貴族]]たちに責められたモクテスマ2世が、前言を翻して[[スペイン人]]に立ち去るよう要求したため、コルテスは、わずかな兵をテノチティトランに残し体制を整えるために引き返した。
 
[[ファイル:Hernan Fernando Cortes.jpg|thumb|210px|left|エルナン・コルテス]]
コルテスはベラクルスで[[パンフィロ・デ・ナルバエス]]に率いられたキューバ[[総督]]追討軍に夜襲をかけて破ると、ナルバエスの部下を味方に引き入れ[[インディオ]]を引き連れて再びテノチティトランに戻って来た。しかしこのとき、兵120名とともに留守を任されていた[[ペドロ・デ・アルバラード]]たちが祭典中のアステカ人たちを虐殺し、激怒したアステカ人たちは反乱を起こしていた。1520年6月29日、コルテスは反乱を起こしたアステカ人たちをモクテスマ2世に説得させようとしたが、激怒した市民によってモクテスマ2世は殺され、6月30日には暴動はさらに拡大して、コルテスは命からがらテノチティトランを後にしてトラスカラに引き返した。この事件はスペイン側からは「悲しき夜(ノチェ・トリステ)」と呼ばれ、約1,000名のスペイン人が死亡した<ref> 「ラテンアメリカを知る事典」p172 - 173 平凡社 1999年12月10日新訂増補版第1刷 </ref>。
 
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== 功罪と評価 ==
[[ファイル:Hernan Fernando Cortes.jpg|thumb|210px220px|left|エルナン・コルテス]]
コルテスはアステカ文明を完膚なくまでに粉砕し、その文化に全く理解を及ぼさなかった。また、コルテスはキリスト教徒、それも敬虔なる[[カトリック教会|カトリック]]信徒であったがために、インディオの社会が持っていた[[人身供犠]]などの「野蛮」とされる側面のみをあげつらい、インディオの習慣を廃止させることに成功したが、コルテスの略奪行為に依るものであったことが明らかにされるのは後世のことであった。
 
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*冒険者たちの世界史 ラルース版・劇画 6 アズテクの黄金 コルテス,デ・ソト ミシェル・ド・フランス編集 [[榊原晃三]]訳 タイムライフブックス, 1983.8.
*メキシコ征服 アステカ帝国と征服者エルナン・コルテス・真実と虚構 山瀬暢士 バーチャルクラスター ブッキング (発売), 2003.4.
 
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
{{commons|Hernán Cortés}}
* [[メキシコの歴史#スペイン人による征服]]
* [[コンキスタドール]]
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* [[マリンチェ]]
* [[ヘロニモ・デ・アギラール]]
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
{{commons|Hernán Cortés}}
 
{{DEFAULTSORT:こるてす えるなん}}