「片倉宗景」の版間の差分

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== 略歴 ==
寛政10年(1798年)、白石片倉家第10代当主片倉景貞の子として生まれる。[[文政]]元年([[1818年]])父景貞が病で隠居したため、家督相続して[[白石城]]主となる。文政2年([[1819年]])白石城が火災で全焼する。文政3年([[1820年]])幕府の許可を取り白石城の再建を開始し、文政12年([[1832年]])に完成した。[[天保]]13年([[1842年]])奉行(家老)となる。[[二宮尊徳]]の弟子倉田耕之進を登用して、[[天保の大飢饉]]で疲弊した領内の復興を図る。[[安政]]6年([[1859年]])先祖[[片倉景綱]]以来、200年偉業を墜さず白石城を保つ功績を賞され一家上席に進む。文久3年(1963(1863年)[[藩主]][[伊達慶邦]]に従い上京し、[[孝明天皇]]が[[石清水八幡宮]]に攘夷祈願の行幸を行った際に先陣供奉を務める。[[元治]]元年([[1864年]])隠居して家督を嫡男邦憲に譲る。明治4年(1871年)死去。
 
== 参考文献 ==