「床次竹二郎」の版間の差分

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== 来歴 ==
=== 生い立ち ===
[[慶応]]2年[[12月1日 (旧暦)|12月1日]]([[1867年]][[1月6日]])、[[薩摩藩|薩摩]][[藩士]]<ref>島津家の一門、宮之城家の第15代当主[[島津久治]]に仕え奥小姓、小納戸役などをつとめた。吉田 [2013]</ref>の[[床次正精]]・友子の長男として、現在の[[鹿児島県]][[鹿児島市]][[新照院町]]に生まれる。[[幼名]]は竹熊。[[1872年]]に父の正精は上京して検事を務めていたが、6歳の竹二郎を含む家族は薩摩に残った。[[1877年]]に勃発した[[西南戦争]]では西郷死後に大久保利通の留守宅(空き家)を友人と叩き壊した。戦争で家や学校が焼かれたため、父の招きにより上京し、以後東京で教育を受けることとなった。幼い頃から「試験の度毎に御褒美」を受けるほどの秀才であった床次は、[[中村正直]]の[[同人社]]や教師の一人には[[高橋是清]]が居た[[共立学校]]に通い、その後、[[第一高等学校 (旧制)|第一高等中学校]]を経て、[[1883年]]に大学予備門、[[1887年]]に[[東京大学|東京帝国大学]]法科大学政治科に入学した。見掛けに依らずに短気な性格であり、在学中は禅の修行など精神修養にも勤めている。大学の同期生に[[山之内一次]]、[[伊集院彦吉]]、[[原嘉道]]、一級下に後に床次の政治顧問を務めることとなる[[佐々木多門]]らがいる。
 
=== 官僚時代 ===
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