「合言葉」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
6行目:
[[上泉信綱]]伝の『[[訓閲集]]』(大江家の兵法書を戦国風に改めた)巻四「戦法」の[[夜戦]]の項に、「'''合詞'''(あいことば)定め置くべし」と記述がある(表記は原文<!-- その -->ママ)。また、[[船]]戦の項にも、「夜は[[拍子木]]を打ち、合詞(以下略)」と記されていることからも、[[水軍]]も合言葉の使用が必要とされたことがわかる。
 
『[[常山紀談]]』の[[三津浜夜襲|三津浜刈屋口の戦い]]において、[[慶長]]5年([[1600年]])9月16日に、[[松前城]]家老の[[佃十成]]が夜討ちに際し、合詞<!-- 表記は原文ママ -->を定めさせる記述が見られる<ref>『戦国最強の水軍 村上一族のすべて』 『歴史読本』編集部 編 [[新人物文庫]] 2014年 ISBN 978-4-04-600264-8 p.104.なお当合戦は、「海の関ヶ原」とも称される(当著より)。</ref>。
 
[[江戸時代]]、[[元禄赤穂事件]]において、吉良邸の討ち入り計画で[[大石良雄]]は前もって合言葉を定めたとされる<!-- 大石良雄の生涯、討ち入り --><ref group="注">浄瑠璃・歌舞伎演劇の『[[仮名手本忠臣蔵]]』十段目では、合言葉を「天」に「川」と設定している。</ref>。