「マーヴィン・ピーク」の版間の差分

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==生涯==
父が医師であり、[[中国]]で医療伝道活動を行なっていたため[[江西省]]に生まれる。のちに一家は[[天津]]へ引っ越してロシア人の住宅に住んだのち、イギリスへ帰国。ピークは[[:enw:Eltham College|エルサム・カレッジ]]を卒業後、[[:enw:Croydon College|クロイドン美術学校]]に在籍し、[[:en:Royal Academyロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ|ロイヤル・アカデミー・スクールズ]]に入学。画家となるために学ぶ。学生時代に短篇小説「灰のひと撫で」を執筆。[[:en:Westminster School of Art|ウェストミンスター美学校]]でメーヴ・ギルモアと知り合い、結婚する。
 
画家として[[ルイス・キャロル]]の『[[スナーク狩り]]』、[[ロバート・ルイス・スティーヴンソン]]の『[[ジキル博士とハイド氏]]』や『[[宝島]]』などの挿絵を手がけるが、経済的な苦境が続く。恋愛詩を[[ウォルター・デ・ラ・メア]]に評価され、夫妻でデ・ラ・メアの私邸を訪問したこともある。
 
[[第2次世界大戦]]に兵役についたときに神経を病み、自作の戯曲 {{En|''The Wit To Woo''}}(未訳)が不評だったため病状は悪化する。病気が進行するなかで『タイタス・グローン』『ゴーメンガースト』『タイタス・アローン』を執筆するが、シリーズの4冊目は未完のまま病没した。
 
==作品==
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その他にピークが書いたものには、数々のナンセンス詩、子供向けの物語(『行方不明のヘンテコな伯父さんからボクがもらった手紙』)、ラジオ・ドラマ、'' 'Mr Pye' ''(比較的綿密に構成された小説で、作品名の由来となった主人公の福音主義的な主張や気楽な世界観を、神が暗に嘲笑するというもの)などがある。
 
ピークは最初、[[1930年代]]から[[1940年代]]に画家およびイラストレーターとして名をなした。当時のピークは[[ロンドン]]在住で、しばしば著名人の肖像画の制作に起用された。ピークの家族は今も当時のスケッチを所持している。生前にはそれほど有名になったわけではなかったが、ピークの作品は同業者や友人([[ディラン・トマス]]や[[グレアム・グリーン]]ら)からは高く評価されていた。ピークの作品は現在ロンドンの[[ナショナル・ポートレート・ギャラリー]]や帝国戦争博物館に所蔵されている。
 
==主な著作==
* ''Captain Slaughterboard Drops Anchor'' (1939).
* ''Shapes and Sounds'' (1941).
* ''[[:enw:Rhymes without Reason|Rhymes without Reason]]'' (1944).
* ''[[:enw:Titus Groan (novel)|Titus Groan]]'' (1946).  邦訳『タイタス・グローン』 [[浅羽莢子]]訳、[[東京創元社]]〈[[創元推理文庫]]〉、1985年。 - 序文は[[アントニー・バージェス]]、解説は[[荒俣宏]]。
* ''The Craft of the Lead Pencil'' (1946).
* ''[[:en:Letters from a Lost Uncle|Letters from a Lost Uncle]] (from Polar Regions) '' (1948).  邦訳『行方不明のヘンテコな伯父さんからボクがもらった手紙』 [[横山茂雄]]訳、[[国書刊行会]]、2000年。